人生の隘路(あいろ)そのニ
昨晩は札幌のすすきので一夜を過ごしました。札幌の街のよさはゴミゴミしてないことです。碁盤の目のように縦横が整備されてゆったりしていることは利点です。ただ先日は福岡の中洲にも滞在しておりましたが地方の大都市はやはり大都会東京から比較するとあまりにも小粒です。駅周辺と歓楽街以外はほとんど人混みはありません。今は網走駅に向かっており今日は知床半島へ行きます。特急列車の中ですが岩見沢、美唄、滝川、深川と駅前を一望してみましたが何も目立ったものはありません。建物は老朽化して錆びれております。地方の発展維持の困難さがよくわかります。
のどかな田園と牧草地帯は北海道ならではでとてもよいのですが今後は荒れてくると思われます。屯田兵によって開拓されて急成長をして来た歴史であるだけに一旦人口減少が進むと一気に急落していく予感がします。北海道寺院はおそらくその煽りを受けて急速に縮むのでないかと想像出来ます。まだ百年、百五十年の寺歴であり四世、五世の世代住職かと思うので発展著しかった時代を経て大転換期にあることは容易に考えられます。大寺院でも札幌に支院を建立して来るべき一極集中時代に備えているところも散見できます。月忌参りで栄えた地域ほどコロナ禍を経て影響は甚大です。北海道寺院の多くは浄土真宗系が強い地域でその影響下にあります。
今は他人の邸宅に図々しく訪問するような時代ではありません。また地縁血縁、社縁と希薄化して付き合いはほとんどありません。お坊さんを快く歓待する人はそうそうはいません。少ない年金を毎月取られたくないと言っている人もいます。もはや遺骨や位牌を信仰する人も少なくなり先祖崇拝の時代は終焉を迎えます。私は今や先祖崇拝に代わる日本仏教は住職個人を崇拝する仏法僧教になると予測しております。その僧侶の個人的な思想信条を旗幟鮮明にして教線を拡大していく以外に方策はないと考えております。私の仏教を語れる人に信者が付き格差拡大へと変遷するはずです。
家から個人へ、地域からSNSの時代となります。買い物が地区の商店街や百貨店、ホームセンターからAmazon、楽天市場、Yahooオークション、TikTokに変わりました。そしてYouTubeやblog、ポッドキャストからでも信者を獲得できる時代になりました。当院ではそれを見たという人からよくメールやLINE、コメントが入ります。そのために人口減少が著しい過疎地域の寺院でも実力があれば可能性もあります。先祖教から本来の仏法僧教に原点回帰をすればまたこの衰退著しい日本仏教、檀信徒寺院を再生できます。ただそれによって本当の仏教、本来の僧侶、あるべき寺院というものが脚光を浴びて隆盛をしてくることは考えられますが一方ではほとんどの寺院や僧侶は没落してしまいます。その過渡期にあると予測しております。
どんな寺院がどんな僧侶が生き残れるのでしょうか。それは自己を習ってやって来た人です。自分の中ですべてが完結しており自立して自己の世界が確立している人です。まさに釈迦の唯我独尊を悟った人です。そこにしか信者は付きません。なぜなら仏教とは悟った人の宗教だからです。先祖になった人ではなく現世で悟った人の利益でしかありません。生死即涅槃を体得できた境涯にあるものの世界でしかありません。それを味わわせてくれるシェフこそブッダになった人です。そこには世間との迎合もなくただ超越した境地だけが存在しております。私はそこを目指してやって来たために世間にも宗門にも阿(おもね)ることなく堂々と飄々としていられるのです。言いたいことが言えてやりたいようにできて理想を語り理想を生きているだけです。その特権を得たものだけが遊泳できる法界です。人目を気にすることもなく誰にも遠慮をせずに生きていられます。ブッダとはそういうものだと思います。某組合のように右往左往をして迷える子羊を演じることもありません。すべての実権を握りあらゆる自己決定権を駆使することが自由自在にできます。人とも群れていないため他人の意見に惑わされることも一切ありません。まさに不惑そのものです。天命を生き耳順に習い本能のままに生きるのみです。群れた僧侶や組織人には到底及ばない感慨を悟ることができました。
我が仏道を生きることはとても苦しくて辛いものです。しかしながら一度、悟って仕舞えば後は安楽の法門を生きるだけなのでとても快適な日々です。迷える子羊のように狼狽えたり騒ついたりすることは何もありません。毎日がパラダイスになります。例え修行でも習慣化して身につけて仕舞えばそれがまた快感にもなります。釈迦の言う人生は苦なりが甘美なものであったに変わるのです。仏教とはそもそも人間万事塞翁が馬、災い転じて福となす宗教です。禍福は糾える縄の如しで苦楽があって人生です。常に目の前の課題、人生や社会の問題と向き合いひとつひとつ解決をしていく意外にはありません。そこに一筋の光明と喜びを感じつつ。合掌
令和八年九月十六日
見性院 橋本英樹拝




