人生の隘路(あいろ)
今は北海道新幹線の車中です。これから道内を横断する旅の行程を模索しております。大まかには脳内に描いておりますが細かい部分は選択肢を用意しながら試行錯誤です。車内はほぼ満席で少し驚きです。出発前日までに販促のための動画撮影とプログ更新は済ませました。お彼岸を前に参拝者や見学者が急増しておりそのための仕込みと仕掛けは完了させております。とにかく全国区であり問い合わせは日本中、世界中です。都内も射程距離です。
昨日は都内在住の叔父と所用で電話にて懇談をしました。明日から新幹線で北海道という話をしたところ熊谷市はなかなかよいところだなぁということになりました。全国、どこに行くにも便利だし自然も残っている、東京までも通勤通学ができるしなぁと。私も最近は首都圏と北関東の合間で関東平野に位置するこの地を見直しております。北に利根川、南に荒川が流れております。天気のよい日には秩父連山、赤城山、筑波山が一望できます。武蔵丘陵地帯で緑も豊かです。空気も水も澄んでおります。当院は新幹線の停車駅まで車で10分です。新潟にも長野、富山、金沢、福井への便も良好です。都心までも在来線で1時間の所用時間です。新幹線なら35分です。東武東上線の最寄駅までも車で10分です。
長らく大宮や浦和の利便性やアクセス、都会度に憧れて羨ましくも思って来ましたが今は考えが変わりました。向こうは少しゴミゴミしているし山や川も少なく自然もありません。東京に拠点さえ持てればご当地の方が断然に有益と思えるようになりました。長閑(のどか)さがあって適度に都会、適度に田舎というのはバランスがよいかと思います。ただし熊谷近辺以北になると不便で田舎じみてしまうためちょうどよい塩梅かとも思われます。そのため将来、都心進出をしても温存はさせておく所存でございます。不動産にも申し分はありません。いくらでも広げることは出来ます。
当院は本院の他に別院も二ヶ寺あります。檀信徒は増え続けております。寺院の合併時にはまだまだ余裕があります。墓じまいをして見性院に遺骨を移設したいという要望が東京からもよくあります。その時のための所有地が問題になりますがそこは当院の強みです。アクセスも悪くなく平坦地で施設は完備しております。そして将来を考慮して先んじて新時代のための寺院づくりをしてあるため抵抗がないようです。矢継ぎ早に信徒数が爆発的増加になるやもしれません。
私は自信をもっているし余裕綽々でいます。堂々として悠然と構え誇らしげに生きております。だから頭を下げることもないし引くて数多でモテまくっております。老若男女から好かれているようです。私に睨まれてしまった人は皆、後悔をしているようです。私と取り持って欲しいとあちこちから私の側近には依頼があるようです。これだけの人物はいないということが遅ればせながら漸くわかったようです。私に嫌われてしまうと罰が悪く居心地が悪いのだそうです。世間から蔑まされて立場がなくなると嘆いております。特に高齢者は老い先短く死後の不安に怯えております。老醜であり不甲斐ない自らの人生に悔いて苦しんでおります。自己責任をなかなか受け入れることもできずに追い込まれております。
例えば某組合として徒党を組み悪知恵を働かせる以外に残された道はないようです。まことに哀れな惨事です。寺院墓地を利用しながら無宗教を声高に叫び損得だけに終始して来た人の末路とはそういうものです。今や新会員もなく先細りであり崩壊解散に向かっているだけです。人生とは自分のして来たことの落ち葉拾いをさせられてからお迎えが来るものです。そう簡単には死なせてもらえないし天罰を受け神の仕打ちを受けてからでないと誘導はしてもらえないものです。本人たちはしらっばっくれていても無惨な老い惚れはどこからてみても隠しようがなく醜態を晒して生きているだけにしか見えません。私のようにキラキラして上を向いて歩けてはおりません。溌剌としたものはどこにもありません。まさに反面教師に相応しい人たちです。項垂(うなだ)れて生きたくはありません。
高齢化社会の中で居場所や生き甲斐を失った人は少なくありません。社会との接点がなくなり世の中や人を恨んで生きる高齢者は増えました。タイタニック号の特等席のままで死なせて欲しいという人ばかりです。なかなか救助ボートの中で自らの手で漕ごうとするものはおりません。私が言いたいのはこちらはどんなたいへんな思いをしてここまで来たか、あなた、わかりますか、ということです。これだけの企業努力、自助努力をして来た住職がどこにいますかと聞いてみたいものです。寄付、会費も不要。葬儀も法事もしなくてよし。無宗教可。他寺院の僧侶同伴可の寺院などどこにありますか。それを逆手に取ってなんでも認めろ、とざわつく人間こそ屑でしかありません。本来はそういう悪人こそ救うべきなのかもしれませんが私はそこまでまだ至ってはおりません。
高齢化社会の歪みでありその人たちがすべて悪いわけではないのはわかります、が。仏教界、宗門も似て非なるものであり、大同小異です。私はただそういう人たちと与する気は毛頭ないし見捨てるだけです。人生に和解は不要です。特に大人社会は一度壊れたら修正はできません。というより修正をしてはいけません。袂を分つべきです。一生、よりを戻してはいけません。私は見捨てた僧侶や檀信徒と和解をするつもりはまったくなくもうすでにその存在すら忘れております。抹消して葬り去っております。それよりももっとよい人ともっとよい人生を求めて今日も旅に出ております。やり直せないのが人生です。やって来たようになるのがまた人生です。一度きりの人生、その気になればなんでも出来ます。勇気と志さえあれば。私のように満足のいく人生を生きているものがゲテモノどもと付き合う謂れはありません。これが人生の隘路というものです。これからみちのくを経て青函トンネルに入ります。私の方は初秋の北の大地を満喫します。おおらかに颯爽と駆け巡ります。大空を羽ばたくように。まだまだ青春真っ只中で。さらば友よ。
令和八年九月十五日
見性院 橋本英樹拝




