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禅的生活の極み

禅とは示す編につくりは単です。つまり単純になることを指し示すという意味にはなると思います。複雑な物事を単純明快に一元化をするものだと解釈しております。シンプルライフです。心をスッキリさせて身の回りを整理整頓することです。余計なものやコトを断捨離して無駄を省きます。そうすると雑念や妄想から解き放たれて禅的生活ができます。そうなるとストレスもなくなり快適な人生が手に入るという仕組みです。私はこの一年は住み込みの職員がいなくなったため午前5時起床、午前6時の梵鐘打ち、読経、坐禅瞑想、掃除、食事づくりとすべてひとりでするようになりました。これが想像以上に快適でした。修行こそひとりの方がよいことにも気付かされました。坐禅こそひとりですべきです。それこそが独座大雄峰かと思いました。ひとりの時間はとても大切です。このあと私はひとりでまたティータイムになります。健康を考えて紅茶です。基本的に午前11時を過ぎないと食事はしません。またコーヒーは飲みません。午後6時過ぎの飲食も禁じております。そのため夜のお付き合いはしないと決めております。とても健康ライフです。ティータイムの後は筋トレかランニングを毎日交互にしております。午前9時までに私がしてしまうモーニングルーティンです。そのためその後の時間帯がとても有意義で快適で充実に満ち溢れております。

つまらない人間関係は断ち切っているため嫌な人と会うとか会合に行くとかもありません。営業の人と会うこともないようにほとんどはネット会社に切り替えました。その方が割安で後腐れもありません。対面だとどうしても煩わしくなります。これも今の時代ならではの利点です。後は私の場合はほとんど代行にしております。あるいは代行業者に依頼もします。そうやって自分の世界を構築しております。よくスティーブ・ジョブズが他人の人生を生きてはいけない、と言われたことが引用されます。ほとんどの人は他人の目を気にして後悔の人生を送り非業の死を遂げます。なかなか天寿をまっとうして人が羨ましがるような人生を得ることはできません。後悔、先に立たず、になります。そして他人事に現(うつつ)を抜かして自らを見失い最後までその間違いに気付かないものです。99歳のお爺さんが言いました。充分な年金と退職金をもらいながら使い損なったと。妻が元気な時に旅行をして行きたいところに行っておけばよかった、と。老人会、町内会、囲碁会、写真同好会、ゴルフと。付き合いはよくして来ました。それでも老人会や町内会では決まって孫の自慢話や嫁の悪口、年金など政府批判ばかり。子どものいない私にはついていけない。公務員だったので年金への不満は特になし。近所のトラブルに付き合わされたりとさんざん。囲碁会やゴルフでは勝ち負けにこだわり神経を擦り減らしました。と。写真同好会では技術のこととかでソリが合わなくなったりと人間関係のことが最後まで付き纏って来ました。という内容でした。そこで遅まきながら悟ったのはひとり静かに暮らすことがいかに大事だったかとのことです。たとえ数十分でも毎日、瞑想したりして人と向き合うのではなく自分と向き合うこと。そこで心の奥底に潜む自分の本当の声に耳を澄ますことがいかに重要なことかを悟りました、と言われました。これまで必要以上に周囲に気を遣い遠慮をしていた自分に気づきました、もっと自分に正直に生きてくればよかったと思い返しました、と言われました。そうです。これが禅的生活です。万事休す。禅はひと休みをすることです。時にゆったりと深呼吸をして心身共にリラックスをして身体の疲れを取ることです。

私はある時、本山の御用商人からお坊さんはみなさんほとんどが老けていて疲れているように見えます、と言われました。私から見ても生き生きしていて溌剌とした人を見ることはありません。これは禅僧こそ禅的生活をしていない証拠です。悲しいかな、禅僧とはほど遠いようにも思えます。人間関係はどうしても上下関係にも悩まされます。気を遣います。空気を読まなくてはいけないことも難儀です。こうしたことから解放されることこそ禅です。人間はひとりでは生きていけません。しかしながら、だからこそ人との間でどう距離感を取り間合いをつくり自立できるかです。そのヒントこそ禅です。人間関係の中でともすれば埋没して自己喪失をしてしまう世の中にあっていかに解脱するかです。つながりや依存先を求めて自らの寂しさの穴埋めのために彷徨う人生はもっとも危険です。却って拘束をされてがんじがらめとなり身動きができなくなるだけです。そこから自由になることです。それには毎朝、孤高に坐ることです。そこで妄想や雑念を振るい落として心の整理をすることです。身体を鍛えて贅肉を削ぎ落とすことです。無駄をなくして身軽にすることです。そうすれば自ずと道は開けます。嫌でもお導きはあるはずですしそもそもその時点で答えはもう出ております。現成公案です。

私はほぼベジタリアンですし禁煙禁酒主義です。道楽はほとんどしません。それでも海外のお坊さんたちから見たら破戒僧、堕落僧です。そのために還俗も常に視野にはあります。後悔のない人生にするために禅は特効薬となります。副作用のない万病薬です。それには日常生活が禅そのものにすることしかありません。そうなれば悩みもなくなりあるのは空や無だけとなります。そこにはもはや求めるものもなく静寂の中での豊かな暮らしだけです。今、季節は雨安居(夏季特別の修行期間)中です。この機会に自らの人生を照顧脚下してみませんか。

令和7年6月14日

見性院住職

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