唯我独尊教推進派

最近、同窓会あるあるの動画を視聴しました。ネガティブな内容ばかりでした。同時に納得です。結局は老後の自慢大会、酔い潰れの恥かきサークルでしかないという結論でした。暇人の愚痴とか暇つぶしでしかないようです。私も還暦を迎えるためにお誘いをいただきました。お誘いをいただくこと自体は問題ありませんがそこまで暇ではありません。というか興味もないし同級生、同安居(修行仲間)、近所,親族と誰とも付き合ってはいません。もう話しも合わないし誰とも会いません。毎日,充実し切っていて未来に向かって全速力で走り続けているために過去は棄てております。昔話に花を咲かせているほど人生が終わってはおりません。修行仲間の本山での思い出話などいつもどうでもよい、まったくつまらないことを言っているなとしか思いません。ただの傷の舐め合い、自慰行為でしかありません。出世したものなどひとりもいません。そもそも永平寺で修行をして偉くなった人など見たことがありません。その程度の人しかおりません。だから同安居会も一度も出たことはないしさっさと退会して正解でした。もっと勉強でもしたらです。
近所の人とも没交渉です。それでも人生も生活も絶好調です。何の問題もありません。いつも引くて数多で尊敬もされているようです。利用しようと近づいてくる人もたくさんいますが何とか制御をしております。時間がもったいないです。あっという間に終わる人生なのに人々は何をいたずらに過ごしているのでしょうか。そして人の生活や人生の邪魔をして何の得があるのでしょうか。自分を生きることです。自分の時間を大切にです。人の時間やお金を取らないことです。賢い人,成功者ほど素早く人を見捨てるそうです。見限るそうです。陰鬱な人がいるだけで不愉快ですし不幸になります。自分の周りにそういう人がいたら早期に退治をすることです。そういう人は負の波動を発して人々を悪の世界へと陥れます。一見、善人ぶりながら実は偽善者です。村社会には案外といます。そういう人の周りはみんなが不幸になっております。そして親からも一刻も早く独立しないといけません。同居などいつまでもしているものではありません。寄生虫などみっともないです。米国では18歳を過ぎて親と同居をする人などおりません。独立心旺盛の欧米人から見たら日本人は幼稚でしかありません。
それと私は年下,子供でも,さん付け,です。さらにほとんどすべての人と会話は敬語です。かの本田圭佑さんは年下のサッカー選手全員に対してさん付けをしております。本当にジェントルマンだと思います。こういう日本人はほとんどいません。本来人間に上下関係などあるはずがありません。すべての人は対等であるべきです。そして尊重し合うべきです。それができている人には品格が備わります。知性に溢れ余裕があります。紳士であり淑女であります。大衆の中には入っていかないし自分をわきまえていていつも凛としたオーラを自然体で放っているだけです。それが本物というものです。決してブランドものを身に付けているわけでもないのに爽やかで嫌みがありません。人に対する妬み嫉みもありません。愚痴も言わない、弱音も吐きません。そして謙虚にして驕らず。これが本当の大人の人格者です。お金持ちの人は意外と贅沢をしません。知恵で生活をしております。ローンも組みません。背伸びをしません。自慢話もしません。人の悪口も言いません。分相応をわきまえ無駄がないものです。余計な付き合いをしたり買い物もしません。叙勲とか見栄、地位名誉に関心を抱かないものです。それよりも本質を見極めたり哲学的思考でもって人生の達人になることを目指すものです。だから人や世間のことなどに興味を示しません。ただの戯言にしか思っておりません。所詮はどうでもよいことにうつつを抜かしているだけなのが俗世間です。悟りを開ければそれが無駄だったことに初めて気づきます。死んでしまえばすべてチャラ、台無し、です。時に負の遺産にもなります。無がもっとも理想です。
私は人生は思い通りになることもわかって来ました。思い通りにならないようにしているのは実は自分だったことにも気づけました。神仏がもっともよい状態を与えてくれているだけだったということです。自分にとっては厳しい現実でも悟りの世界,神仏の世界から見たらそれは理想でありあるべき姿でしかありません。それを知るために人生はあるのです。そして修行はあるのです。永平寺の修行によって悟れる人はいません。宗門はそれを知るべきです。いつも宗派が迷走して騒動宗になっているのはそれがまったくわかっている人がいない証拠です。盲目の指導者がやっているだけです。もうそろそろ行くところまでは来ているかと思います。崩壊は避けられません。引き返せません。タイタニック号の中でどうするのでしょうか。私はひと足先に乗り移って大正解でした。これからジェットストリームを行くつもりでおります。独尊の旅を遊泳します。遥か彼方の未来永劫に向けて残りの人生,精一杯泳ぎ切るつもりです。行手を阻むものなどなく颯爽と滑走路を堂々と離陸していきます。大空を思う存分楽しみたいものです。三輪空寂。
令和7年7月30日
見性院住職
追伸一、三輪空寂とは
他人に親切にしたり施しをする時には、施した物に執着して見返りをもとめるのはやめるべきということ。
『三輪』…施す人(施者)、施しを受ける人(受者)、施す物(施物)の三つを指す
『空寂』…この世のすべてのものには実体がなく、空であるという考え方
三輪がすべて空である、つまり執着を離れているという仏教におけるお布施のあり方を体現する言葉。
追伸ニ、客殿厨房も改修しております。店舗型にしてデッキや庇をつくります。お弁当販売やカフェを始めます。お楽しみにお待ちください。