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ミャンマー寺院

昨日は東松山市上唐子にあるミャンマー仏教寺院、通称悟り寺に行って来ました。月の輪駅までも徒歩5分圏内です。徒歩2、3分のところにスーパー,コンビニ,ガソリンスタンドとあり好立地です。さらには東松山インターまではおそらくは車で5分かと思います。当該寺院にパゴダ(仏舎利塔)が建立されて完成式典が催されました。前々から招待があり悟り寺とはこの5年間ほど国際交流をしております。また私は個人的には台湾仏教寺院、佛光山とも親交があります。今週は仏光山大阪別院にも表敬訪問を予定しております。また昨年はチベット仏教僧でダライラマ十四世の高弟が当院に滞在しておりました。基本的には日本の寺院や僧侶との交流はほとんどありません。というか制限しております。しかしながら将来的には海外に拠点を持ちたいため海外寺院との交流は続けております。

残暑厳しい中でしたがこの悟り寺でのパゴダ完成式典は数千人の来場者で溢れ返り渋滞と混雑の中で大盛況でした。改めて信仰の力,民族の結束、ミャンマー人の敬虔な帰依に感動したものです。ミャンマー人僧侶も5、60人はいたのではないでしょうか。その他にも来賓の方も多くご臨席されていました。私は片道1時間をかけてこの武蔵丘陵地帯を自転車で往復しました。サイクリングをかねての参列でした。猛暑の中でよい運動にもなりました。今は歯科医院,駅までや買い物もほとんど自転車利用です。そのために全身が一層引き締まって来ております。さすがに往復2時間でアップダウンが激しく疲れましたが気持ちよい汗をかき最高の気分でした。ひとりを快適に過ごせます。昨日はとてもよい一日でした。

そして今日は9月1日(月)で毎月恒例の役員会でした。私のわがままで最大限の投資をさせてもらったことに謝意を述べました。もう充分な事業ができました。満足しております。過剰な投資でしたが必ず回復をして回収をさせる自信はあります。極限までの賭けには出ました。ギリギリで何とかなっております。五十代最後の大勝負であっただけに人生を賭けて臨みました。結果はこれからの後半でどうなるかです。暫くは様子見です。ただこれだけの投資ですが檀信徒からの会費や寄付はまったくなく自己資金によるものでそこまでのリスクはありません。自力ですべてやっているので借りもないし後ろめたさも何もありません。後々恩に着せられることがありません。むしろぶら下がり檀信徒の吹き溜まりとなっている面も否めません。それでも常時,人が増え続けているために発展できる仕組みにはなっております。また職員たちの精力的な働きによって成り立っております。これは他寺院にはない唯一無二の強みであります。言ってみれば創業社長のようなものです。圧倒的な存在感と恍惚さを放っていると自負しております。他の追随を許すことはなく一層の輝きを増すことはできると思います。

今日も臨時の塗装職人には私とお目にかかったり話しができるだけでもありがたいと思ってください。と。私が情けをかけて拾いました。雲の上の人と接しているという自覚はないようです。職員からは訝(いぶか)しがられながら雇い続けております。どうしても私が仏様のようにやさしいため甘えて来ます。なんだかんだ言っても私のような人情家はそうはいないと思います。そこに付け込んでくる人もいます。どうしても居着いてしまいます。居座られてしまいがちです。とにかくよくしてもらえます。至れり尽くせりです。日銭稼ぎのため時間稼ぎとなりどうしても捗りません。却って費用対効果を考えると割には合わないため職員や役員がヤキモキです。賄いもあり職場環境も良過ぎています。隙間バイトであればブロックできますがなかなかそうもいきません。今日はそこを何とか相手の心を傷つけないように説教をしました。遠回しにやんわりと何となく本人から非に気づいてもらえるように諭します。本当に私と関われるだけでも幸せだと思います。私の顔に泥を塗り続けているだけなのに面倒を見てもらっています。他では雇ってくれるところなどあるはずがありません。私の場合にはいつもそうした救済のための雇用を続けております。

経営者で宗教家であることは心がいつも痛みます。しんどいものです。そこを理解できる人もまたなかなかいないようです。葛藤も修行の一環ですが。私のようにお酒もタバコもギャンブルもゴルフも女性遊びも一切しない人はなかなかいないと思います。それに今は食事もほとんど一日一食か二食で簡単な精進料理だけです。そのために海外の潔癖な清貧僧侶たちと気が合うのかと思います。当院の尼僧様はさらに自動車の運転もしない肉食もしない俗服も着ない財的なものを一切持たない主義です。自分のものは僧服と自転車だけのようです。わたしの知人宅を借りて慎ましやかな聖的生活をしております。謝礼としてのお布施もほとんど受け取ってくれません。今の時代であっても本物の出家者はいます。私の場合はそれに比べると遥かに劣りますがそれでもこれだけの成功者でありながらです。私の僧侶仲間はほとんどそういう人たちですが。

また、これからは暫くはそれなりの内部留保もしないといけません。仕込みは充分にしたので収益はさらに増すことは確実だとは思います。緊縮財政に切り替えてハード面からソフト面にシフトをして次のプロジェクトのために溜めの期間に入ります。今年に入って物価の急激な上昇がありなかなか収入が支出を追いつかなかったこともありましたが何とかなっております。職人やアルバイトだけでもこの8月だけで100人は雇っていると思います。人件費も尋常ではありません。2、3割増の物価上昇のものもありました。昨年までに高額なる高級寺院仏具を多数買い揃えておいて今はよかったと思います。凄まじいまでの購入ラッシュでした。一般寺院で購入できる範疇ではありません。もうほとんどのものを手に入れました。これで悔いもありません。他寺院や僧侶に買い与えた法衣や仏具だけでも数百万円から数千万円です。あとは自分自身でしか掴み取れないものを取りに行きます。それには時間がもっと必要です。切り詰めていきます。自分にもっと磨きを懸けて凄みとか凄まじさとか研ぎ澄まされたものを身に付けたいものです。もっともっとストイックにシャープにスマートに生きたいものです。これがまたこれからの課題です。

お坊さんこそ故郷を捨て宗門を捨て執着を捨てて生きていかねばならない存在です。開祖たちのように。まったく逆で生きている人しかいません。群れたら死す存在のはずです。俗世を離れてなんぼの世界です。孤高に励むべき聖のはずです。それがどうしたことでしょう。世俗に染まり浮世に浸かり道楽に耽っているだけです。私の親族でも悲惨な老後生活の人がいます。ただその人のこれまでの生き方が映し出されているだけなのでどうしようもありません。老後を見ればその人の人生の結果そのものなのです。正直で鏡に写る被写体がその人だなぁと思うことがあります。なかなか同情もできないのが現実です。特に昔の人はわがままな人が多かったようにも思います。それが今,老後となりお灸を据えられています。生き地獄と化しております。こちらは申し訳ありませんが見て見ぬふりです。人生の清算を中陰を前倒ししてさせられているに過ぎません。こちらはコロナ禍で人間関係の整理をしたりしがらみを一掃しておいたおかげで何にも困ることがありません。悠々自適でしかありません。

明日もまた宗教雑誌の取材があります。どんな話題になるのやら。それから京都,大阪方面に出張になるかと思います。隙間時間に勉強をする癖をつけないといけません。それと大事業もあと少し残っております。これを早く成し遂げて勉強に専念できる環境をつくらないといけません。大プロジェクトも進んでおります。これまでの残務整理が予想以上に捗っておりました。さらに収入は飛躍的に伸びると思います。これに群がって来る人たちに細心の注意を払いながら前に進みます。日本仏教は衰退の一途であり宗門はガタガタです。しかしミャンマーや台湾の仏教寺院は大盛況です。東南アジアの仏教とともに飛躍する見性院でいたいと思います。飲食店の開業も早期に実現したいものです。とにかく頑張ります。乞うご期待。

令和7年9月1日
見性院住職

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