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試す、放つ、捨てる、斬る

 試す、放つ、捨てる、斬る   今、中小零細企業の経営者は深刻です。大企業とは違って外貨を稼ぐことはできないため収益は改善されません。円安の影響をもろに受けて狼狽(うろた)えながら生きています。また人手不足と人材難にも悩まされて三重苦を余儀なくされています。私も立場は同じです。しかしながら逆境こそチャンスと捉えた人が結局は成功します。なぜなら物事は常に二面性があり二律背反の中で世の中は成り立っています。必ず何処かに突破口はあるものです。そこに活路を見出した人が勝ちです。私は副住職時代はほとんど無給で働き結婚式もしてもらえない辛酸を舐めてきました。両親がとても厳しく突き放されて来ました。そのため師父亡きあとは懸命に働きこの十五年間で貧乏寺を大寺院へと仕立てあげました。収入も信者数も10倍にしたかもしれません。今も勢いは止まることはありません。毎年、過去最高益です。ただそれにより多くのものを犠牲にして身を粉にして働いていたため失ったものも少なくありません。第二の人生はやり直したいことだらけです。宗門とか村社会とかとはそりが合いません。今は自らのサンガ(仲間)があり理想的な人生にはしました。夢は確実にものにしておりまます。信念を貫き世の中を突き動かしているつもりです。人間万事塞翁が馬、災転じて福となす人生を体現することができています。これから人生百年時代に向けて新しく生き直しやり直す人生を得ることが今の夢です。これからは職業も人生も生活も二度楽しむ時代になると私は思っております。それとやりたいことはなんでもやってみようと思っております。

 私が認めていない人の法要は一切お断りをするというのがありますが戒名授与もお断りをしようと思っております。戦犯は排除ですが。認めていない人の授与はご遠慮をするか高額にするかに決めております。今やしたいことはすべてできるし買いたいものも買えております。自由自在の人生です。中小零細企業の経営者は決して人手不足や人材難でも私は思い切って採用して試して、放ちて、捨てて、斬るべきだと思います。人は本当に付き合ってみないとわからないものです。また途中からおかしくなるものです。人間関係は使い捨てです。勇気をもって意に沿わなければ使い捨てることです。それで何の問題もありません。だいたい中高年でしたらわかるでしょう。世の中のことは。役に立たない人はクビが当たり前です。振られたら終わりです。必要とされなくなればそれはさようならが当然です。新陳代謝は必須です。常に人は入れ替えるべきで固定客は腐ります。取っ替え引っ替えでよいのです。何の問題もありません。すべては自業自得です。結果がすべてを表します。正直そのものです。当院も大胆に入れ替えて正解でした。私は合わない人とは会いません。せめて挨拶だけです。これがもっとも快適で有益な人生です。何かを成し遂げるには何をしないかを決めていくことでしか実現はしません。何かを犠牲にしなかったら夢の実現などあり得ません。人に振り回されたり騙されたり時間を奪われたりしないことです。人生は一回限りの換えの効かない難値難遇の奇跡です。これを生かさなかったら何ともったいことかと。それには世間の目や人の目を気にしないことです。所詮は他人はすべて幻想であり夢想です。ただの思い込みです。自分自身の考え方でいかようにもなります。ただ私は精一杯の人事は尽くさないといけないと思ってはおりますがなりゆきには従う人生にはしました。無理をしても結果はついて来ません。天命には従うしかありません。

 私はこれまで懸命に果敢に働き寺院業務の拡大に邁進してきました。何とか自立をして独立採算の稀有な寺院運営ができるようになりました。多角経営のため揺るぎない経済基盤を構築しました。そのためこれからは安定気流に乗り成長期の著しい時代を迎えると思います。住職代理を迎えているためにこれまで再三苦労をしてきた人事については不安定さはなくなると思います。淘汰の時代にはまた巷に人が溢れてくるはずです。代わりはいくらでもいます。人事のコツはこの人はダメだなと思ったら躊躇なく斬ることです。人事に我慢は禁物です。直感こそすべてです。相性とかフィーリングというものがあります。害になる人を置いておくことは損失そのものです。精神衛生上もよくはありません。ストレスになります。雇用を守らなくてはいけないと思っている経営者ほど病んでいるものです。私はドライになってから気が楽になりました。特に中高年には伸び代はありません。2、3ヶ月雇えばその人の本性とかその半生は見えてきます。そこで見極めてスパッと斬ることが人事のコツです。それを私は経営者を16年間やってみて掴みました。よく起業家は才能か経験かと問われたらデータ上は経験になるそうです。私もこれまで膨大な経営本と言われているものを読破してきましたがやはり辛酸を舐め血反吐を吐く思いでやってきました。ただこれこそが今や財産であり人生の羅針盤になっております。自らの経験に勝るものはありません。これこそが宝です。一生残せるものです。私の心に刻まれて決して失うことはありません。そしてそれが魂に銘じられているはずです。それを自負というのかと思います。一生、人は自らの足跡を背負っていきます。だからこそ日々精進しかありません。精進こそが財産です。それが男の履歴書です。私はそこで人を判断しております。その人がどんな心構えで生きてきたのかそれがすべてです。それが魅力です。そこからは必ず滲み出てくるものがあります。僧侶は特にそこを目指さなくてはいけません。それ以外はないと言っても過言ではありません。人事とはその人の人生の価値判断です。転々としてきた人には理由はあります。一途に懸命に生きてきた人には志しがあります。そこの違いが後半の人生に結果として如実に現れます。男の顔は履歴書とは言われます。すべてはそこに彫り込まれています。この一瞬を生きたいものです。

 私の師父は肺がんで亡くなりました。へビースモーカーであり生き方が雑でした。そう言う私も一昨年は都内の大学病院にて入院加療をいたしました。病気とはこれまでの食生活や運動不足、生き方、働き方の結果なので常識的には私は完治はしないと思います。医療のほとんどは一時的な処置です。場合によっては意味のない治療は私は多く存在していると思っております。放っておいた方がよいことも多いはずです。亡くなった近藤誠先生の論は正しいと思っております。いずれにしても死ぬんですから病気とは戦わない方がよいと思います。これまでの不摂生の結果が出ているだけなのですから。甘んじて受け入れるのみです。自らの至らなさを痛感すればよいのだと思います。これも修行です。ただ規制とか因習、悪しき慣習とは戦わなくてはいけません。戦わずに改革などできるはずはありません。そのために私は日々戦っております。宗教家も政治家同様に改革者でなくてはいけません。そして挑戦者でなくてはいけません。戦う宗教家は本当にいません。だから宗門は面白くありません。私はそれでも一生戦い続けます。命ある限り。合掌

 

令和6年2月11日

見性院住職

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