賢者と愚者

還暦まであと一週間というところでお盆の特別法要の動画が撮れていないことが判明しました。昨年は当日,住み込みの職員が朝、起きて来ずという失態がありました。そのために急遽,動画の撮影を中止しました。今年はリベンジのため側近を呼んで泊まり込みでの準備と作業にあたってもらいました。しかしながら結果は三本のうち収録ができたものが僅かに一本という残念なことに至りました。私は毎年毎年,この8月13日のお盆法要に向けて余念なく準備をして来ております。特に今年は五十代最後の法要法話でした。また前日には羽鳥慎一モーニングショーに出演をし最高のお膳立てを用意できました。ところが記録係の不手際と私の指導の至らなさで最悪の結果を招きました。楽しみにしてくれている信者の方には心よりお詫びを申し上げます。
この一、二カ月は全速力で走って来たと思います。かなり無理もしました。私にとっては前半の住職人生の集大成として位置付けてこれまで以上に頑張って来ました。しかし結果が散々であり今は落ち込んでおります。何が悪かったのかなと。もうこれ以上はできませんというところまで詰め込んでおります。一人一人に責任と使命感を持たせてやらせているつもりです。いつも絶対にこれだけは失敗をするなよということだけは言っております。失敗をしてよいものと許されないものがあります。その分別はもっとも大事です。こちらとしては不退転の覚悟で望んでおります。自分ではどうしてもできないためにそれなりの報酬でわざわざ頼んでおります。それができない人は社会人としては失格だと思います。かつて本堂改修の落慶式典がありました。その時の私の挨拶は渾身の魂がほとばしるものができました。その時も記録係が失敗をして撮り損じました。今でも悔しくて本人への怨みは消えません。なぜかこうした大失敗を親族や側近がやらかしてしまいます。それでも当の本人は意外とのほほんとしております。
お釈迦様も謀反を起こし裏切ったのは従兄弟の提婆達多(だいばだった)でした。豊臣秀吉を追い詰めたのは家臣の明智光秀でした。なぜかいつも足を引っ張り致命的損失を被りさせられるのは側近や秘書や親族であったりします。これが人生という何か教訓なのかもしれません。だから人をあてにせずただひとり、犀(サイ)の角のごとく歩め,と釈迦は言ったのかもしれません。人は信用できないという教訓なのかもしれません。それを前提に付き合えばよいという逆説も成り立ちます。本番で結果を出せない人とは交わらない方がよいようにも思います。私などはいつも用意周到に準備をして万全を期して臨みます。本番に強い人は賢者です。肝心のところで掴み損ねる人は愚者です。その差は生きる姿勢だと思います。目標が定まっていない人は詰めが甘くなります。大勝負で失態をします。それは日頃の生き方を見ていれば一目瞭然です。真剣に生きていないのです。いつも怠慢でいい加減です。こうした人とは早期に袂を分つことです。伸び代はないし結局は役には立ちません。人間は夢があったり志を高く持とうとしたら賢者と交わらなくてはいけません。どういう人といっしょにいるかでよい人生になるかならないかも決まります。賢者は結果を出せますが愚者は出せません。ぶら下がったりおもねたりして生きております。最後はお荷物になります。何処かのタイミングで振り払わなくてはいけません。本番でしか撮れない魂がほとばしる言霊というものがあります。これを見逃すようではもう将来性はありません。そういう人は自分のことしか眼中にはなく人間のクズでしかありません。選手交代にはすべきです。
私はいつも真剣勝負でこの一回にすべてを注ぎ込みます。この命懸けの勝負にやっつけ仕事をされても困ります。だから相手も選びます。心から私のことを尊敬できるという人だけに絞っております。あとは振り払っております。それだけでも大忙しで回りません。時間は有限であっという間です。更生になどに付き合えません。一期一会で真剣勝負をしてくれる人だけで充分です。テレビ局の人のようにプロ意識でもって体を張って頑張っている人が私は好きです。徹夜をしてもとことん仕上げてくる姿勢にいつも感動します。あと一週間あります。気を取り直してもう一度、攻めの姿勢で臨めればと思います。宗教者なのでもっと寛容でないといけませんがこれからは黄金時代になると思います。人はとことん選びます。温度差があるなと思ったらさっさと斬るべきです。方向性が違えば同じ道を行ってはいけません。
昨日は本堂葬儀が二件,入りました。二件とも市外の方です。一人はさいたま市の施設から遺体搬送されて来ました。とにかく見性院ですべてをお願いしたいという大ファンです。遠隔地からもどんどん来てます。私の動画を毎晩,視聴しているとのことです。この輪は全国そして世界へと羽ばたくと思います。そういう人たちを裏切れません。まともに仕事ができない人はお断りです。このお寺は私がいなくなったら立ち所に失速してしまいます。私で持っているだけの寺院です。そのためにも責任を持ってやってくれる人以外は必要ありません。私の思い描くシナリオ通りにはなって来ております。ワンランク上の人を採用していきます。バージョンアップが必要な時です。本番に強く創意工夫に怠りがない人が条件です。謙虚にして驕らず。自分はこれでも恵まれていて困っている人のことを助けたいという仏心のある人がよいです。高い志があって自己顕示欲のない人。お坊さんによくありがちな自己陶酔型は好ましくありません。何事にも真剣勝負、最後まで責任と使命でもって成し遂げられる人が好きです。それと肝心なところで結果を出せなかった人は退場です。これが公平です。今後の指針としても明言しておきます。それではあと一週間は頑張って走り続けます。ご期待ください。
令和7年8月18日
見性院住職
“Picture” by mrhayata, CC BY-SA 2.0