自由奔放

ここまで来たらもうやりたい放題です。言いたい放題です。完全勝利投手のようなものです。ひと通りのことはすべてできたしすべて完璧化していると思います。組織も完壁につくり変えました。経済構造も一変させました。先代当時の十倍の規模感かと思います。条件は整えました。これからはさらに堂々として何ものにも諂(へつら)うことなく振る舞います。とにかく人で溢れている毎日です。掲示板前は週末にはいつも人だかりとなります。これが証拠であり実績です。あの世では両親も驚きを隠せずにいると思います。やはり私の言って来た通りになっただろうと言いたいところです。結果を出せれば文句は言えないだろう、と。それよりも自分の納得のいく生き方ができていることが何よりも幸せです。自己実現ができれば。自分のやりたかったことができた人が成功者です。人にもう頭なんか下げるつもりはないし我慢して付き合うこともしないしなんでも嫌なら断ります。この自由人こそなりたかった自分です。
現存する国内最高齢の男性は静岡県磐田市に住む水野清隆さんだそうです。御歳111とのこと。今も長年住み慣れた我が家で家族とともに暮らしているそうです。1日3食,おやつ2回で至って健康とのこと。長寿の秘訣は何事もくよくよせずに嫌なことはすぐに忘れることだそうです。ストレスがもっとも身体によくないと言っておられました。短命な人はとかく短気でせっかちです。私の健康の秘訣は坐禅瞑想と適度な運動です。それと健康食。淡白な人間関係に尽きます。あとは早寝早起き。おしゃれと美的センスの追求もあります。勤勉で学究肌も大事な要素となります。まずは健康であることは何よりも強みです。そして見た目が実年齢よりも遥かに若く見えることもその人の人間的魅力が増す要素です。老けているだけでも説得力はなくなります。そして神々しく見えることも大事です。どうしても中身が滲み出ます。内なる異彩を放てることです。ぱっと見からして凡人とは格段に違うものを発していればそれだけでも凄みが出て周囲を圧倒できます。それが単なる虚勢では見透かされます。みっともない限りです。自分を磨き切っている人にしか出てこないオーラを持つことです。それができれば締めたものです。私の周囲には私に共感して心から尊敬します,という人しか寄って来ません。だからよいのです。自己実現ができた人にしかつくれない世界の構築です。そうすればあとはしめたものです。自ずと人が人を呼び込み発展します。私は常に独自の哲学や理論を発信してさえすればよいだけになります。波動を放ち信者の心に染み込み心が満たされるようにしてあげればよいのです。私と感性の合う人が湯水の如く現れます。檀家制度の下では波動や波長が合わない人がいるためにショートしてしまいます。ところが自由化された組織の下では全体が同じ温もりや共感に包まれてみんなが幸せになれます。
時々、当院の葬儀や法事のお手伝いをしてくれる僧侶がいます。私の畏友であり善友です。その人がある時私に言いました。見性院の檀信徒は他寺院とは比にならないほど真面目な信者信徒がいると。それはどういうことか。彼の話では読経でも法話でも真剣に聞いてくれて態度がよいと。これは他では見られないことです、と。私はその時,彼にはこのお寺は便利で使い勝手がよいから来ているだけですよ,と言いました。そうしましたら彼ははっきりと違います,と言われました。そうではなくて苦労して見つけたお寺、それも理想的寺院に漸く辿り着けた我が寺なんです。こここそが探し求めて来た安住の地、理想郷なんです。だからお寺やご本尊、僧侶に向き合う姿勢が他の寺とはまったく違うのです。真剣だし純粋な眼差しをもって向き合っているのです,と絶賛してくれたことがありました。檀家制度でやっているお寺とは天地ほど。雲泥の差なのです。ということでした。だから私もハッピーですが信者信徒もハッピーです。みんなが幸せになれる唯一のお寺が見性院なのです。お互いに縛りがなく自由奔放です。とても宗教的です。民主的です。これから益々,大発展します。面白くなります。なっています。
今日も日曜日ということもあり境内は人だかりです。職人も料理人もいます。隙間バイトの人もいます。職員もやがて20人にはなってくると思います。とにかくストレスを溜めず楽しく生きます。ダメな人は斬ります。それがもっとも有益な戦術です。敵とは戦うべきです。しかし当然ながら暴力暴言は禁止です。あくまでも知恵の勝負です。哲学の競争です。これを打ち立てていくことが宗教の世界です。世界平和は宗教の使命です。私もそこを目指して今日も闘っております。私も燃える闘魂になります。
令和7年7月13日
見性院住職