夢中と宇宙と心中

笑われて、馬鹿にされて、それでも愚直に突き進んだものだけが夢を掴む。
イーロン・マスク
夢があるなら、普通の生活を手放す覚悟をもて。
マイケル・ジョーダン
夢が叶わない一番の理由は早くに諦めてしまうことだ。
ウォルト・ディズニー
夢を叶えた人はやらなかった理由を言わない。
アーノルド・シュワルツェネッガー
いずれも夢を掴んだ人の名言である。共通していることはいずれも恥を忍んで無我夢中にそのことに没頭した人のほと走る情熱である。
今日はおかげさまで一日で樹木葬墓地が三件ほど成約しました。決算書は少し厳しい結果とはなりましたがピリッとして緊張感が出て来ており私も前以上に充実をしております。連日てんやわんやで院内はわんさかわんさかしております。活気は漲っており大勝負に打ち勝てそうな気配にはなって来ました。読み通りかと。隙間バイトの志願者も充実しております。結果にコミットをし生産性や収益性に結びつかないような人は早めにお断りをすることも経営者としてはとても大切な手腕です。どうしてもぶら下がったり居座ったり腰掛けたりという人は出て来ます。そこの調整はしっかりしていかないと収支は悪化してしまいます。そこは早めに処方箋を出して治療しないといけません。そこの微妙な判断がいつも難しいところです。しかし避けては通れません。やんわりとサラッとさりげなく対応したいものです。この健全性が担保できていれば会社や組織はそれなりに循環すると思われます。
結局は再三、申し上げておりますが人につきます。マイナス的な人の整理ができるかがとても重要です。基本的には私にとって仕事とはテキパキ、バリバリ、ガツガツ、ガンガンです。僧侶なら修行僧、職員なら企業戦士と言っております。突破力のある人です。それと忍耐力です。私がラガーマンタイプだからですが。それがない人は知性に溢れているとか特別な技術があることが求めらます。一翼を担えない人はメンバーにはなれません。賢い人ほど無駄やムラがありません。余計なことをしたり言ったりしないものです。結局は最後は燃費のよさ。無駄を省けるかです。いつもそこは永遠のテーマとして試行錯誤です。何かの縁であり運でもあります。寛容さも必要です。絶妙な機微を身につけていないと上手くは対処できません。またこれができない人は人生、なかなか成功しないものです。論理も身につけながら慈悲的面も備えていないと運気を味方にはつけられません。柔軟性がないといけないしそれがないと包容力が備わりません。人生、常に修行になります。
この三年は幾分か空回りをしたり遠回りをして来ましたが今は後悔をしておりません。その時その時にとても偉大な出会いがありました。世界的な台湾の高僧との邂逅。国際映画祭にも出品されているイタリア人映画監督、俳優との共同制作。最近では建築家の安藤忠雄氏との偶然の出会いなど将来の布石になるようなことも数多くありました。本堂の大改修、大観音や大燈明の建立等もこの三年で完成させることができました。あと還暦まで二ヶ月です。どうにか客殿の改修も残すところあと僅かです。境内の敷石作業も来週からは作業開始かと思われます。厨房も店舗用に改修します。新入職員も常時増員しております。国際映画もアカデミー賞にノミネートされたらと夢は膨らみます。すでに視聴はしており手前味噌ながら内容は申し分なく上出来です。普通の生活を捨てたことはよかったと思います。常識を捨てて空想の世界に身を置き理想を描いてやって来て正解だったようにも思います。思い描いて来たようにもなっております。時に無念無想しながら時にはファンタジーを描いて空想に耽っておりました。なすがまま、なされるがままに生きて来ております。それが思いもよらない世界に誘われて映画のような世界にも導かれます。
私は基本的には来るものは拒まず去るものは追わずの姿勢です。寛容に柔軟に対処をして来た結果にも思えます。前半の仕上がりとしてはとてもよいものができて来ていると思います。人との出会いが運命を決めます。それにはコツコツと布石を打ち地盤を固め歯車を合わせていくしかないと思います。一朝一夕に何事もできません。まずは石の上にも三年とはよく言ったものです。私も漸く下準備ができて来たのかなと思います。土台は大事です。基礎を盤石にしない限り飛躍はありません。地固めの大切さを痛感します。いきなり飛び立とうとしても無理だったことがこの三年でよくわかりました。啐啄同時という禅語があります。機が熟すのを待つこと。そのための基盤整備、用意周到さは必須条件になります。それが整うと機が合って来るものと思われます。そうなると背中を押され環境を与えられるものという感じがします。それまではいくら自分がそちらに進もうとしても行手を阻むものに遮れて空回りをしてしまいます。まだお前、先にやることはあるだろう、と。
世の中には機縁というものがあります。絶妙なタイミングによってなされていくものです。今しかないように。啐啄同時に邂逅もあります。もっともよい時を天は選んでおります。私たちはそれとは知らずに抗ってはおります。その天命に従って生きるのが五十代です。還暦後は耳順です。六十を過ぎれば天の声、人の語りが素直に受け入れられるようになるものだそうです。物事が起きる背景、道理が理解できたりその文脈や行間からその奥義を掴むことができるという意味かと思われます。人間の深層心理は還暦を過ぎないとなかなかわからないものだよ、と孔子は言っているものと思われます。またマハマト・ガンジーは「あなたがこの世界で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい。」と言われております。夢は自分で見るものであり自分でしかつくれないものと教えてくれていると思います。この変化というのはおそらくは野望的正義を言うようにも思います。邪なことではなくあくまでもこの世の中を少しでもよくしようとする正義感から来る野心と言ってもよいものだと思います。果てしない夢物語は果てしない正義によってなされるものと私は信じます。偉大なる偉人の言葉は深くて魅せられてやみません。
令和7年6月15日
見性院住職