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本堂葬儀と安藤忠雄

先ほど本堂葬儀の導師を終えて今は少しのんびりとしております。今朝は快晴で鳥のさえずりを聴きながらのいい日旅立ちの葬儀となりました。春うららかな温もりの中で故人とのお別れができました。生前戒名の授与者でお墓も建立済みという準備万端にはしてあった人でした。お中元、お歳暮、付け届けと一年中に渡って貢献して来られた積善の人、功徳者には天は味方をするものです。波瀾万丈ではあったようですが最後は安らかに眠るように朝日の差し込む早朝に家族に見守られて旅立たれたとのことです。生き方は死に方のようです。見習いたいものです。見性院の本堂葬儀はとても厳かで品格があると自負しております。今後は檀信徒のみならずどなたでもたとえ葬儀社様であってもご利用いただきたいと思います。本堂前に自前の霊柩車を付けられます。鐘楼の鐘の鳴る中で山門を潜り抜けていく出棺式はとても風流であり黄泉の国への出立ちに相応しい儀礼となります。どなた様でもご利用できます。ご遠慮なくお問い合わせください。このところ毎週のペースで利用されております。安置室も三部屋ございます。専用のドライアイスも冷凍庫もあります。死化粧もできますし納棺式にも最適の環境です。また祭壇には常時、生花や果物、お菓子のお供えがあり発注の必要はありません。安心しての依頼ができます。

 

次に「安藤忠雄展|青春」が大阪で開催されております。私の大好きな建築家です。闘争心 安藤氏曰く、結局はこれで勝負は決まる。人生というのは所詮はどちらに転んでもたいした違いにはならない。ならば闘って自分の目指すところ、信じるところを貫き通せばよいのです。無我夢中で仕事をしていれば不平不満など出てくる余地はなくなる。平常心を身に付けるにはギリギリのところに追い込まれた経験を持つかどうかです。最悪なのは挑戦もせずに最初からあきらめて逃げてしまうことです。失敗を恐れずに立ち向かえば少なくとも自分自身は納得できるものです。条件が悪いとか難しいとかあってもそれを乗り越えていくところに人生の面白みとか醍醐味があるというものです、と。どんな仕事でも一流になるためには今に安心しないことです。他人のことを気にしたり遠慮をしたりしてばかりではいけません。どんな境遇にあってもひたむきに生きることこそ価値がある、と言われてます。言い得て妙であります。私も現状に甘んずることなく納得のいかないことには妥協することなくやってきました。現状維持など後退であり怠慢そのものと思って闘ってきて本当によかったと思います。時代は常に変わっており自分自身も変化の只中にあります。未来に挑戦しない人生など面白くありません。完全燃焼した人生を得るために最後まで安藤さんのように規制や固定概念と闘う所存でございます。

明日から大阪、京都に行く準備をします。思い立ったが吉日で即行動しかありません。本能のままに生きます。わたしも安藤さんと同じで現状に甘んずるのは大嫌いです。いつもちょっと無理をしてギリギリのところで勝負をかけております。ハラハラしながらの運転にはなります。その方が面白いしドキドキします。すれすれのところを一か八か通って行くことは嫌いではありません。何とかなるし何とかして見せるといつも意気込んでいます。これが私のモチベーションになっております。歯に衣着せぬ物言いをして顰蹙を買ってでも自らを追い込み未来の扉をこじ開けることには容赦はしません。これでもかこれでもかと突き進んできて独自の境地を得られております。何者にも変え難い経験をものにしております。これこそが財産です。投資をやめないのはそこら辺にも意図があります。時間は待ってくれません。資金は後からでも何とかなります。瀬戸際を生きているために潜り抜けられているのだと思います。緊張感のある日々でいたいしワクワクしていたいものです。そして生き生きと溌剌としていたいのです。春風に乗ってキラキラとした我が世の春を生きます。合掌

令和7年4月16日
見性院住職

 

 

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