1. HOME
  2. 寺便り
  3. お知らせ
  4. 還暦を迎えての思いを

還暦を迎えての思いを

昨日の午前中から五十代最後の日と60歳の誕生日は東京芝浦のフェアモント東京で過ごすことにしておりました。おかげさまで仕事も入らず天候にも恵まれてほぼ丸一日をホテルで過ごすことができました。今は帰りの電車の中です。私は一人旅しか興味がないので一人暮らしを考えておりましたが料金は一人も二人も同じです。また超高級ホテルなので息子に見せておくことも将来のためにはなるかと誘いました。

案の定、動画で見るよりも遥かに上質で優雅で絶景でした。午前中に日本橋の行き付けの天ぷら屋さんで昼食を済ませてすぐにホテルに向かいました。チェックインは午後三時とのことでしたが息子が早く行ってロビーで待ってようとのことなので午後一時過ぎに到着。ダメ元でホテルマンに依頼したところすぐにチェックインがオッケー。部屋の準備も完了しているとのことでした。浜松町駅から徒歩6分でした。外資系でこの7月にオープンのためとても綺麗でどこもピカピカでした。長身の美男美女揃いのスタッフに加えてほとんどが外国人でした。宿泊者8割もそうでした。館内は英語や中国語が飛び交っておりました。東京というよりはニューヨークや香港,シンガポールのホテルと言った印象です。窓越しから見える光景は大都会の高層ビル群,摩天楼と湾岸線です。ロケーションだけで言えば間違いなく日本一かと思います。ロビーもとにかく広くてゆったりしております。大東京を一望できます。プールも広くジャグジーも屋内,屋外と完備。サウナもミストと乾燥型と併設しています。浴室も岩風呂でまた檜材の香りがして何とも居心地はよかったです。さらにほとんど人はいません。其の多くの時間帯で私は独り占め,貸切もできました。スポーツジム室もです。日中、夕焼け、夜景、日の出と風景の変遷も堪能することができました。

プールとジャグジー,サウナ ジムで約ニ時間の汗を流しました。軽くだけ夕食をとりまたプールで少し泳ぎました。その昔一時はスイミングプールに通っていたこともあったので次第に勘も戻って来ました。それから夜は日課である法律の勉強です。これも自宅よりも集中して二、三時間は費やすことができました。午後10時半過ぎに就寝。一度も目覚めることもなく熟睡して午前四時に起床。自宅では必ず一、二度は目が覚めてしまうのでよりリラックスができて快適でした。午前6時半までは動画を視聴したりお茶を飲んで過ごしました。それからまたプールへ。これもまたほとんど人がいなく独占でした。だんだんと泳ぎが面白くなり二時間もそこで過ごしました。サウナとの併用もしましたが充分に運動もできました。午前9時から息子と朝食会場へ。バイキングではありませんでしたが厳選された食材とメニューは圧巻でした。約1時間,朝食を楽しみました。そのあと私は部屋に戻って日本経済新聞や法律書を読んで午前11時半まではくつろぎました。息子は渋谷に買い物に行きました。正午のチェックアウトはとてもゆっくりとできて助かります。

24時間、夢空間に身を置いて日常をすっかり忘れられることは有意義でした。我が人生,振り返ってまあ悔いなくやれてはいるのかなと思います。昨日もそれなりの満足感で終えることはできました。フェアモント東京を選んだ理由は今後は東京進出とあわよくば海外展開を視野に入れたいからです。ロケーション的にも湾岸エリアで空港にも近くアクセスは抜群です。外資系でもあります。またプールからも東京タワー、六本木ヒルズ,麻布台ヒルズが見渡せました。眼下には増上寺や東京グランドホテル,芝公園を見下ろすこともできました。今月は4回目の出演だった羽鳥慎一モーニングショーへ。テレ朝の周辺でも散策をしたりしてまた見聞を広めることができました。人脈もできて来ておりまだまだ世の中を大きく変えていける仕事がしたいものです。そのための才能や才覚もあると自負しております。進出のための準備も少しづつですが整いつつあります。このままでは終わりたくないしむしろこれからが本領を発揮。腕の見せ所と思っております。

昨日もまた第八樹木葬墓地(紫雲䑓)が成約したとのことです。それも高額物件から売れているとのことで嬉しい悲鳴です。全体的に思惑通りには推移していると思います。六十代は黄金時代にするつもりです。なるはずです。そのためには一層、自己の世界で生きます。今回も一人でプールやジム、読書、移動,食事をしてみてやはりこれがもっとも自分の性分に合っていることがわかりました。ただひとりでいてもホテルスタッフとはかなり話はしました。向こうからもよく話しかけて来ます。セキュリティが万全、富裕層しかいないというのも助かります。気が休まります。節目となる日は自宅を離れて視点を変え自己内省をすることがよいと思います。これまでの人生を振り返ってよかったことを申し上げます。それは先ほど来、申し上げていますがひとりになれたことです。気高く理想を掲げてその実現のために突き進むとします。その時,必ず行く手を阻む障壁が現れます。波風が立ち誹謗中傷の嵐が時に吹き荒れます。その時です。ほとんどの人は怖気(おじけ)付き恐れ慄(おのの)きたじろぎます。それではなぜ私は突き進んだのでしょうか。

それは一回きりの人生で何か一生残せるものをつくらなかったら生まれて来た甲斐はないのではないのか。後悔はしたくない。明確な根拠はなかったものの自信はありました。何か世の中,間違っている。つまらない世間に身を置きたくはない。宗門にいてもただ無駄に時は過ぎていく。寺院社会は衰退の一途で崩壊寸前というよりもすでに崩壊している。先の永平寺での性加害事件などが象徴している。人間は僧侶は特に群れると碌なことはしない。無責任となり堕落や不正に走る。それは政治家以上である。だから私は袂をわかったということ。もはや終わっている集団。地域にいても埋没していくだけだ。と本気で思っていました。本当に荒れて来たし衰退して来ました。思っていた通りになっています。このすべてに納得はいかないしこの閉塞感が漂う現代という時代,誰かが狼煙をあげて変えていかなかったらもうおしまいだと思っておりました。そうした引くに引けないほとばしる正義感とか使命感はあったと思います。そのためにはひとりでもやってやる,という勇ましいほどの気概はあったと思います。それと無我夢中だったから突き進めたと思います。それは私の生い立ちや修行生活、学究生活とも関係していると思います。それなりにはよく真面目に勤めあげたとは思います。真っ当はしたと思います。挫折や頓挫も含めて継続はしたと思います。それがすべて自分自身を支えてくれていました。そのために孤立しても怖くなかったのだと思います。孤独に堪えられたのだと思います。今はそれがたいへんな財産です。

誰と会ってもここまでのことができる人はいないだろうという自負はあります。それが自信となっていつも堂々としていられます。余裕があります。達観できているし恐れるものもなくなりました。孔子は論語の中で「徳は弧ならず,必ず隣有り」と言っております。よき本当の仲間たち。サンガ(僧伽)をつくれました。本末や教区や組寺、法類などとは違う志しを同じくする親友です。信からの仏法を伝え合う修行仲間です。生涯の友ができました。これを善友会と称しております。利害関係も腹の探り合いもない純粋な人間だけが集まった集団です。これにより孤独とは言え何かあれば助けてくれる人たちです。その人たちのおかげで自らの思想信条を旗幟鮮明にして果敢に挑むことができました。言いたいことが言えるようになりました。それによりやりたいようにできるようになりました。結果、夢が叶い納得のいく人生にすることができました。本当にありがたいし幸せだと思います。これからの次世代の人たちへの何か参考になれば幸甚です。

次に私の対処法についてその境地を露呈させていただきます。私は基本的にはいつも最悪の結果を想定してコトには臨みます。なぜならどんなに準備をして臨んでも失敗する時はします。また準備不足でも運よく通過してしまうこともあります。だから最悪の想定をして結果はいつもそれが最善だったと思うようにしております。万全を期しても失敗はします。しかしながらあとあとになってみると結果的にはそれは最善だったという時がいつか必ず来ます。すべてはその人の成長のためにあるだけなのです。それに気付くことが仏教だと私は思います。最悪を想定して最善を得る,というのが私の哲学です。すべて必要でありすべてはよくなるだけです。だから仏教は諸行無常にして心配事なし。お釈迦さまの手のひらに載せられて生きているだけなのだから安心して生きてていいんだよという教えです。今朝のフェアモント東京の最上階から見える景色は私が待ち望んで来たものでした。これからはここを舞台に活躍したいと思っております。快晴の上空から見た大東京はとても晴れ晴れとして輝いて見えました。これからが本当に面白くなると思います。私の人生は。今の心境です。感謝。そして感謝しかありません。

令和7年8月26日 還暦の日
見性院住職

 

 

 

 

 

最近の記事

アーカイブ