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自己を極める

人はなぜ生きるのか。この難問といつも対峙をして時に戦っております。何のために、そしてどう生きるべきなのか。幸い私は宗教に従事をするものとしてよくこの問いを思量します。では宗教者とは一体何者ぞ、です。私の考える宗教者像とは地位や名誉や財産に固執しない人のことです。そして出家者とは本来無一物で生きる人のことだと認識しております。つまり私有財産を持たない人のことです。その時点で私を含めて日本の僧侶のほとんどは失格者です。お布施とは本来は純粋で私有財産を持たない僧侶が特権階級としていただくものです。私たち在家僧侶がいただくお布施はどう考えてもサービス料です。そこにお気持ちが入る余地はないはずです。普通に対価としての料金でよいはずです。サービスの対価としてのサービス料金でしかありません。そこには時価ではない料金表はあるべきです。俗人に差し出すものです。お布施とは言えません。こうした世俗化した日本仏教ですがそれでも仏教と名乗る以上はそれは心はいつも聖なるものの僧侶の理想を追い求めなくてはいけません。だから私はいつも懺悔をしております。そして倹約で生きております。禁煙禁酒は当たり前です。ゴルフやギャンブルや夜遊びはもってのほかです。いずれは僧侶を辞めて別の道に進むために還俗もありかなとも思います。それでも還俗したからと言って上記のことになど一切の興味はありません。基本的な生活は今とあまり変わらないと思います。

私の場合、よく同業者から妬まれてあんたは布教が修行ができているのか。僧侶としての生活はどうなんだと追求されたものです。言葉を返すようで申し訳ありませんが私ほどの修行や布教ができている人はいないと思います。そして私ほどの経歴を積んでいる人はいないと言いたいものです。昨日は北関東の臨済宗の名刹が宗派離脱をされたと言うニュースがありました。修行道場として認可された公認寺院です。さらにJR東日本のCMでも舞台となりかの吉永小百合を起用した名所です。今後は波紋を呼びそうです。近隣寺院への影響、波及を恐れて宗派本部は即刻、住職を擯斥処分にしたそうです。とある宗教新聞の記者はやはり臨済宗から瓦解が始まりましたね、と言われました。ただおそらくは延命的な措置だと思われますし宗派が圧をかけてもこの流れは止まないと思われます。もう限界に来ていることはほとんどのひとはわかっております。あとは離脱か合併かしか残された道はないと言うのが本音であり実態です。大本山や大寺院はそれだけに台所事情もあります。何処から崩壊が始まるかはわからない様相を呈しております。まさにチキンレースです。

私は事業家として実績を積み宗教家としての資質も持ち合わせているという自覚はしております。最近はよく資産運用や金融投資の営業が頻繁にあります。ただ私は今は少なくともまだ僧侶です。汗水垂らして働いたお金しか要りません。できうる限り生きた浄財を生きた生活、仏法のため使いたいものです。資金から資金を産んでも嬉しくはありません。いずれはバブル化して雲散霧消するだけです。悪銭、身に付かずを信じます。尊敬する成田悠輔氏ももっとも尊い大事な投資は自分の心(知識)や身体(健康)にするのである、と言っておりました。我が意を得たりです。かの世界的伝説の投資家 ウォーレン・バフェットももっとも大事なことは自分に投資をすることだと言っておりました。僧侶は本来無一物でもって日々、自己に投資をする人のことです。そして見返りも求めず与える人のことです。ただ徳を積み人格を磨き世に還元する人のことです。そこを目指すべきです。それができる人がもっとも幸せでもっとも豊かでもっとも尊いのです。ハリウッド映画の大スター ハリソン・フォードにある時、記者が質問をしました。どうしたら自己実現ができて成功して幸せになれるのでしょうか、と。ハリソン曰く、成功者の言うこと、アドバイスを聞いてはいけない。それは決して決定的なアドバイスにはならない。人はそれぞれだよ。いかに自分らしくいられるか。自分の理想を求めて突き進むことだよ。と言っておられました。成功とは自分との戦いであると。私は若い人にはアドバイスをしないと決めているんだ、成功している誰かの真似をしてはいけないと、それだけである、と。私もそう思います。自己を極めることしかありません。他人との比較の中で自己を極めることはできません。自己との対話、もっと言うなら神や仏との会話の中でしか悟りは存在しません。結局は自己評価を超える人生はあり得ません。能力を超えた報酬を得ても身にはなりません。力量を超えた生活をしても豊かにはなれません。それよりもいかに慎まやかな簡素な生活をするかのほうが尊いです。

私は最近は稼ぐことよりもいかに無駄遣いをしないか有意義な時間をつくれるかを思案中です。そして余計なお付き合いは禁物です。親戚付き合い、近所付き合い、友達関係、組合活動のほとんどは有害です。厳選に厳選をすることです。これだけでもたいへんな節減節約になります。これだけでも自己投資であり財産を築けます。交際費のほとんどは無駄な経費です。よく大企業の役員で億単位の報酬を得て来た人が晩年には闘病生活。大学病院の特別室に長期に渡って入院を強いられ何千万円、場合によっては億の治療費を使ったと言う話はよく聞きます。最後はプラスマイナスゼロです。あの世には持ってはいけません。私はこれまで病気らしい病気はありません。医療費はほとんどかけておりません。これからもそうするつもりです。不摂生から来るものがほとんどです。自己責任です。よく詐欺に引っかかる人がいます。私も経験はあります。これも身から出た錆です。自己責任です。この世のすべては因果律です。応報です。他責にできるものなどありません。すべては自らが背負っている業(行い)です。誰のせいにもできません。自ら背負い込んで解決していく以外にはありません。そのための解決策を説いたのが仏法です。釈迦です。逆に考えたら自分の人生は自分次第でどうにでもなるということです。すべては自己の中に問いも答えもあるのです。それを甘んじて受けいれられるかだけのことです。まことに真理とはシンプルです。それがわかれば悟れるのかと思います。人間関係の断捨離も定期的には必要です。業務提携も三年経ったら見直しは必要です。ものの考え方、方向性、将来性を見極めることは大事です。私のようによき人材が次から次へと現れるひとは特に見直しは必須です。引くて数多で困っているほどです。今でさえこれですから将来はもっとたいへんです。心しておきます。日本人の人間関係はベタベタしております。もっとドライで強かでよいと思います。気を遣いすぎです。ぱっぱっと斬り捨てて仕舞えばよいのです。ブラッド・ピッドにせよロバート・デ・ニーロにせよジョージ・クルーニーにせよ何回、妻や彼女を変えたか計り知れません。トランプ大統領もです。日本人は他人にちょっかいを出し過ぎです。プライベートはどうでもよいことです。もっとおおらかでよいと思います。あなたが心配をしなくても神が裁きます。自分のハエを追えばよし。自分の心配で充分です。これからの日本社会に必要なことです。移民は増えます。世界に目を向けていきましょう。

令和7年5月30日

見性院住職

 

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