皇室と仏教と政治と

今の時代は特に世襲問題が取り沙汰されております。政治家の世襲についてはいつも議論の的になります。よく三バン、地盤、看板、鞄(ジバン、カンバン、カバン)と言われます。公職選挙法や政治資金規正法によって公平性が保たれているとは言え実際には必ずしも平等とは言えない側面はあります。知名度や組織、資金の大小には当然左右されます。本来は政治家としての資質や人間性、教養とかが問われるべきです。しかしながらどうしても現実的には後援組織の充実度、知名度の有無、政治資金の程度が当落に影響を及ぼすことは間違いありません。世襲が有利にはなります。前任の両親から受け継ぐものはあまりにも大きいものがあります。これを打開すべく様々な対策が取られできました。それでも決定的な問題の解消には至りません。それはなぜか。私見ではありますが皇室という存在。つまり世襲でそれも男系男子による皇位継承が罷り通っている間は政治家の世襲批判をしてもなかなか解消はできません。いまだに皇室典範による改正もなく女性天皇を認めておりません。これでは政治改革はできません。私は天皇制は反対です。今の時代には似合いません。皇族を認める以上は人権問題の解決にはつながりません。家柄による差別問題は残ります。そして皇室そのものに人権はあるのでしょうか。答えはノーです。皇室を辞めたがっている人の人権問題はどう解決をすればよいのでしょうか。そして皇室を維持するための莫大な資金をこれからも日本国は捻出できるのでしょうか。宮内庁の予算も甚大です。防衛費の増額も必須となるご時世です。貧困化する日本社会にあって国家のあり方を議論する時です。どちらを選択するのかをこれからの政治家には苦渋の決断が待っております。
そもそも仏教はカースト、つまり身分差別を真っ向から否定しました。バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラとあり釈迦はクシャトリア、皇族(王族)を離脱しました。出家をして世襲からも解放されました。革命家でした。そもそも仏教は家柄を認めず世襲を否定した宗教です。日本仏教は仏教にあらずと言ってしまえばそれまでですがこれから私たちの向かう先はどこなのか。昨日は私は親族会議がありました。そこで世襲議員のいる親族からもう世襲は辞めるという発表がありました。それも名門です。私はたいへんな驚きを隠せなかったです。来たか、と思いました。実は私も息子も継承を端(はな)から望んではおりません。住職僧侶や政治家などなりたい職業でしょうか。魅力的な社会には見えません。特に仏教界は沈んでいくだけです。廃墟化する運命にあります。娘はインターナショナルに行かせましたが息子は地元公立の小学校中学校です。万が一、寺院を継ぐ場合にはその方がメリットがあります。なぜならなんだかんだと言っても村社会の田舎ではまだまだ世襲を望む声が多くよそ者を嫌います。たとえ住職の実子であっても東京とかで生まれ育ってから地方の寺院に来ても馴染まないことが多いです。それも地域の寺院組合(教区)ともです。結局、気質やものの考え方が合わないのです。方向性が違います。そのために逃避してしまう寺婿はよくいます。寺嫁もこれからはますます来なくなると思います。
私の師父は高校生から今のこの見性院に来ました。隣りの地区の本家寺院から来ても影では外様(とざま)という人もいたそうです。そのくらい寺院社会、村社会はこれまで封建的保守的でした。そんな中で私はよくも破壊的改革をしたものだなと思います。ただ実母も妻も地元の檀家で地元の学校で同級生だらけです。それでも苦労は絶えません。地方寺院の継ぎ手も嫁ぐ人もいなくなるはずです。中にはとうとう娘が出家をして尼僧になることもあります。しかしながら男僧でもたいへんな時代に尼僧で勤まるとは到底思えません。檀信徒が遥かに及ばない才覚や教養、風貌がなかったらとてもやってはいけない時代です。そんな人はいません。それだけのものを持っていたら僧侶になどなってもつまらないものです。私の親族は地方の地元選挙区の小、中、高等学校を出て大学から東京です。それでも父親の選挙区を継ぐ気はなくなったそうです。盤石な揺るぎない地盤があってもです。それが現実です。一流大学、大企業のエリートの方が確かによいかもしれません。僧侶もそれができる人は継ぎません。漏れた人がやっているだけなので優秀な人材が集まらないのです。結局は堕落僧の集団化になるだけです。これが日本の世襲社会です。ただ日本の伝統芸能だけは世襲でも世間が一定の評価をしているようにお見受けできます。それは噺家にせよ歌舞伎役者にせよ高座や舞台に立たされてその実力が試されます。時に篩にかけられ徹底した稽古の中で磨きをかけ鎬を削る戦いもあります。こうした厳しい環境の中で芸を磨き高い志しを持ち続けます。ところが寺院界にはそのような凄まじい稽古を続ける人など類稀です。伝統芸能界からは人間国宝が輩出されます。それに比して仏教界からは名僧と言われる人はほとんど出てきません。私も個人的に尊敬できる人は見当たりません。これで次世代が育つでしょうか。
結局は人に収斂します。今こそ仏教ではないでしょうか。原点回帰して釈迦に帰るしか残された道はありません。在家に開放して大政奉還の時です。天皇制も世襲も見直すべきです。選択的夫婦別姓も認めるべきです。法律婚から事実婚社会へ。不倫問題で失脚した山尾(菅野)志桜里氏の政界復帰を私は個人的に支持します。個人のプライベートなど目を瞑りましょう。才色兼備、美男美女であればそのようなことが一つや二つあっても当然です。税金が使われているとは言え性被害とかではありません。真剣交際であれば可です。個人と家族の問題だけです。これからは自由恋愛にして自己責任でやって貰えばよいだけのことです。人生いろいろ、人はそれぞれです。ハリウッド俳優を見てください。何とかなります。もっと大事なことがあります。正解はありません。昔の大名、天皇、宰相と側室はいくらでもいました。それでうまく回っていたのです。少子化問題の解決もあります。もっと寛容になってもよいのではないでしょうか。目くじらを立てすぎです。もっとやらなくてはいけない根本問題の解決の方に心血を注いでいきましょう。世の中はなるようになっていきますから。心配ご無用。
令和7年6月3日
見性院住職