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無我夢中

昨日まで京都滞在でした。今回は商談と視察と観光です。伝統工芸品の職人さんとの打ち合わせが2、3件と視察観光でした。あとはランチビュッフェで調理研究もありました。京料理にも関心があるため必ず試食はして来ます。また意外にも京都はカフェとパン屋さんももの凄く多いです。コーヒーの消費量は全国一位とのことです。宿泊してみたい旅館,ホテルもありますがまだ質素倹約を貫きたいため定宿はいつも大阪のカプセルホテルです。それも最近は雑魚寝です。目隠しと携帯用首枕と耳栓は持参です。機内のエコノミーを思えばとても居心地はよく苦にはなりません。節約できるところはすべてします。そのためにどうしてもの時以外は徒歩か自転車です。基本的に朝食はコーヒーか紅茶だけです。ランチは少し多めにして夕食は軽食で済ませます。ほぼ一人で黙食です。人付き合いもないので気楽です。ただひとりで無我夢中に生きることがモットーです。ひとりでただ目の前のことに没頭して生きているだけなので雑音は聞こえて来ないようにしております。仏教は無我と縁起という哲学を説いた宗教です。だから自分というものもないし縁起によって無常に成立しているに過ぎません。すべては幻想なのであって悩むことも迷うことも本来的にはありません。ただ成り行きに任せる,いや任せる切るだけの教えです。自らの計らいを捨てて生きるのが仏教です。漸く私も静寂の中に身を置きなすがまま,なされるがままに生きられるようになりました。知らず知らずのうちに物事が解決していく道を選びたいものです。もはや俗世間や組織などに興味もなくなりつつあります。世間の常識とか慣習とかにとらわれて生きたくもありません。自分の世界で遊行していたいものです。遊行僧にでもなって。破天荒に時に非常識でありたいと思います。

先日,ホリエモンがどうしたら起業家になれるのかと聞かれると。彼曰く,世の中の不をやれ。つまり不公平だったり不平等だったりしていることを解決しなさい,不便や不経済なことが世の中にいつの時代も溢れいている、と言っておりました。私もこれまで世の中の理不尽であったり腑に落ちないことだったり自分のなかでどうしても納得がいかないことに対峙して来ました。それを解決するために権力や抵抗勢力と戦って来ました。なんでなんだろうということに妥協しないで向き合い真摯に取り組みました。時に歯に衣着せぬ物言いで物議を醸したりしております。それは自分に対して正直でありたいし世の中をもっとよくしたいしもっと生きやすい世の中をつくりたいからです。人生にも世の中にも最善の正解はありません。そして時代や常識は常に変わります。そのために自分自身も変わり続けないといけません。時代という風景も変わりますが自分も変化老化し続けております。その現状認識を持って生きてないといけません。私も含めてほとんど人は無駄に生きております。迷いの中で迷い続けております。常識という錯覚の中で翻弄され自己を見失って途方に暮れる日暮らししかしておりません。そこに覚醒を促しているのが宗教の世界です。しかしながら宗教家であっても俗世に浸り自己喪失の中で翻弄されているに過ぎません。何のために宗教家をやっているのかをわかってなくてやっているだけです。それが今の宗門であり宗教界仏教界です。京都寺院であってもほとんどは管理や維持はできておりません。今回はつくづくとそれを感じました。これからはどうなるかと思います。今回は西陣と嵯峨野嵐山の周辺を巡りました。とてもよかったですが。鹿王院、常寂光寺、二尊院、祇王寺、清涼寺とどれも圧巻の佇まいと奥ゆかしさが備わっておりました。残さないといけない自然美と風景と文化遺産です。来ている人のほとんどが外国人観光客でした。私も自坊を京都寺院のような佇まいと奥ゆかしさを兼ね備えた風致にしたいためいつも写真を撮っては夢を膨らませております。今回は御翠廉(すだれ)や荘厳具の製作のための商談もありました。一旦は伽藍や境内整備も一休みとは思っておりましたが時間は待ってくれないので空白はつくらないことにしました。過ぎ去った時間を巻き戻すことはできないので少しでも前に進めるために行動はしていくことにしました。弛むことのない進化はしていたいものです。無我で夢中に生きていたいものです。人の目などまったく気にしないで我を忘れて目の前のことに没頭していたいものです。夢中なれることに夢中に取り組んでいたいと思います。

最近ある動画で老人からとてもよいことを聞きました。それは三つのことをかきなさい、でした。恥をかきなさい。汗をかきなさい。字(日記とか)を書きなさい、でした。恥をかくとは自分の知らないことを痛感すること。新しいことをやっていれば知らないことだらけ、そこで恥をかけば人間は何歳になっても成長が出来るという教えでした。汗をかくこと。運動を欠かさずやって健康維持に努めなさいでした。結局は健康も自業自得です。そして字を書け,日記を書けでした。五感を使えば全身で覚えるし心も身体も活性化します。最近の人は字を書かなくなりました。私もです。反省します。やはり字を書くと覚えます。私も再認識をしました。暇になったら負けだと思います。終わりです。走り続けていたいものです。周囲に関心など持たずに我関せずに生きます。毎朝の勤行も休みの日はありません。毎日毎日,欠かさずお勤めをしている効果はあると私は信じます。また最近は少しづつ料理も再開しました。ここで完全に辞める訳にもいきません。無理のない程度に復活させました。一度仕切り直したことはよかったです。リセットは必要です。休息も大事です。考える時間も必須です。深まりゆく秋の気配の中で京都は嵯峨野の散策はとても気分転換にはなりました。リフレッシュをして再起動です。寺院業務も好調です。コツコツと弛まずやっていくしかありません。おかげさまで理想を追い続ける人生になっております。恐れるものは何もないし一修行僧として挑戦者として一生を捧げることに迷いなし。それが我が人生であり我が悟りそのものです。人の評価などにうつつを抜かすほど野暮ではありません。過去の自分との戦いがあるのみです。人は関係ありません。仏道とは我が信念を生きることにおいては他にありません。自己の道を極めてこそです。それがどんな道であろうとも自らの運命に素直に生きて死ぬだけです。感情の赴くところ道標に照らされながら行くだけです。決して迎合などせずにひとり生きていくのみです。人生は。

令和7年11月8日

見性院住職

追伸 似顔絵は京都の作家さんに依頼しました。

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