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新出家主義

世界三大投資家で知られる大富豪、ウォーレン・バフェットはネブラスカ州オマハに1958年から普通の邸宅に長年住み続けていることでも知られております。すでに60年以上です。資産9兆円を保有しながら超質素な生活振りです。普通車一台に外食のほとんどはマクドナルドとのことです。

所得のほとんどを教会や慈善団体に専ら寄付しているとのこと。また資産の多くをビル・ゲイツ財団に寄附していることでも知られております。死後は資産の99パーセントを寄附するとも明言しております。趣味は勉強で一日のほとんどは読書のようです。金融、経済、政治から宗教、哲学、科学まで広範囲に及ぶそうです。投資家というよりは宗教的哲学者のようです。見習うべきことはたくさんあります。

ただし一方ではウォーレン・バフェットとの食事会の参加費は日本円でひとり25億6千万円とのことです。


ある時、ウォーレン・バフェットとビル・ゲイツが人を介して対談をする運びになったそうです。それまでは交流はなくお互いに会おうともしなかったそうです。その時にお互いに聞いてみたいことをもって来ることが条件だったそうです。その質問状が開封するや同じだったそうです。そして驚くなかれ、お互いの考えがまったく同じだったそうです。

それは「人生においてもっとも大事にしていることとは何か」

それは自分の目の前のやるべきことに集中するためには、すべてに対して「ノー」と言えることだったそうです。一流の人と超一流の人の差は、すべてに対してノーが言えるかどうかなんだそうです。確たる自分のためにはすべてを排除できるかにあるそうです。これは凡人に出来るはずはありません。まさに超人のなせる業と言ってもよいと思います。

「神は細部に宿る」とか「神はサイコロは振らない」と言われます。二人の賢人はやはり神の領域を生きているのかもしれません。因みにウォーレン・バフェットは別名、オマハの賢人と言われます。


この世の奥義を知り尽くし人間たちというものを極めた二人の悟りを、及ばずながら私も見習いたいものです。

そこで今後は私が法事をする場合には本堂でなら五万円、出張なら市内はプラス一万円、市外はプラス二万円に。県外なら十万円からとします。また葬儀は本堂なら三十五万円から。市内なら五十万円から。市外なら七十万円からとします。これが一応の基準とします。できれば出張法事は十万円はいただきたいものです。それだけのことはできるし備えております。

また寺院への随喜も最低でも十万円はお願いしたいところです。そのために親族の冠婚葬祭や法事も一考します。よほどのことでなければ出ません。これからの人はやらなくなると言っても富裕層はします。いただける人からいただきます。食事会の同席料は三十万円から。講演料は百万円からとします。ただし信者や日頃から尽くしていてくれている場合にはその限りではありません。面会費も30分一万円からです。非常にわかりやすくしました。

「お気持ち」は辞めました。これでスッキリしました。もう人だかりはこりごりです。押しかけも困ります。お付き合いはほぼ辞めました。今の人間関係だけで充分に満ち足りております。これ以上はストレスの原因になります。


これが私の「新出家主義」です。 お坊さんはひとり生きていく生き物だと思います。私は半僧半俗のため出家だとは微塵も思っておりません。が、また尊敬する僧侶もいません。宗派にも見切りを付けているし期待もしておりません。我が道を生きるのみです。誰にも拘束されずにフリーランスで生きております。まったくの自由人としてあるがままに。

これが私の新出家主義です。心はいつも晴れてそよ風に吹かれております。気になることもなく自然主義です。流れに素直に時に身を任せております。悠々自適かと。仕事は常にあります。人はいます。食するものもあります。あとは時間管理だけです。それさえ自由自在になればウォーレン・バフェットやビル・ゲイツの領域に行けなくはないと思います。


最近、とある弁護士さんから、なかなか司法試験に何年も受からなくても両親が何も言わずに見守ってくれたことが本当に嬉しかったし救われていた、とおっしゃっておりました。それがあって今、よい仕事ができているとも言っておりました。人間としてこういうことは大事だなと思います。

また別の弁護士さんは、時に働きながら苦学して勉強した方が時間の価値は高まるし濃い学習ができるものです、と。またある人は、苦学して苦学して法律家になった人の方が歴史に残るような判決文を書いています。また国益に沿うような訴訟に導いているものです、と教えられました。これは苦労人を励ましてくれている面もあるとは思いますが、真実の面もあると思います。

人はそれぞれに置かれた環境も違うし持って生まれたものも違います。自分の人生を生きることだと思います。自己責任であるからこそ自己実現しかないと思います。人と比較しても解決はしません。自分のプラットフォームを生きることこそ意味はあるはずです。人生とはいったい何なんでしょうか。私はいつもそこを視点に物事を考えております。


来年からは新出家主義と神の領域を目指して頑張っていきます。知見や神の境涯で仕事ができたらと思う今日この頃です。自己投資さえしていれば経済は回ります。幸いに今年も絶好調でした。

ただ墓地管理は当院も難航しております。檀信徒天国の当院でさえも困難であるなら廃寺化時代の到来は間違いありません。というよりもほとんどの寺院は経営できなくなるはずです。他人に邪魔をされないことがもっとも大事だとウォーレン・バフェットもビル・ゲイツも教えてくれております。しがらみを断つことを。意志がつよいこと。人格的気質が真面目であること。勤勉家であること。誠実であることが成功の条件のようです。それと他人に気を遣ったり振り回されないことも重要です。

これができないのがなぜかお坊さんたちです。群れて蒸れておもねているだけです。私はここから超越できたことが幸甚です。やはり僧侶はフリーランスで生きるべきだと思います。そういう僧侶の方が生き生きしております。


先日は東京寺院の住職がお亡くなりになりました。それなりに名の知れた人です。宗門でも活躍をしてそれなりの活動もして信者はそこそこはいました。それでも晩年は寂しい余生でした。葬儀には人はほとんど来なかったそうです。親族もまとまりはなく廃寺になるだろうと囁かれております。

また住職がお亡くなりになり本葬が終わると離檀の連絡が殺到するところもあるようです。あるいは住職が留守中、不在、別地区の住居である場合など、無断で墓じまいをしてしまう事件も仄聞しております。

当院は逆に東京寺院などを墓じまいして移転する人が増加しております。また墓じまいをして遺骨の持ち込みは連日です。寄附も年会費も宗派指定も檀家制度もないことが共感を呼んでいるようです。おかげさまで毎日毎日が大賑わいです。樹木葬の成約も好調で連日です。これが今の時代の現実です。

ウォーレン・バフェットやビル・ゲイツからしてみたら宗門の問題など、この賢人たちからしてみれば愚の骨頂、たわいもないことだと一蹴してしまうことでしょう。本当につまらない世界だと私も思います。さっさと身を引いたことは正解でした。それだけのことです。

年末の締めくくりとして二人の賢者から学んだ知恵を披瀝させていただきました。 よいお年を。

令和7年12月20日 見性院住職

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