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想像から想造,そして創造へ

人間は常に思考を停止することなく脳裏は妄想に溢れております。私などは毎朝欠かす事なく坐禅瞑想を繰り返しております。それでも無念無想とは名ばかりで雑念に囚われてむしろ迷走していることの方が大半を占めます。それでもなぜ瞑想、坐禅、今時の言葉で言えばマインドフルネスを続けているのか。それは心の一服の清涼剤だからです。これにより心が整うと思っているからです。毎朝のお勤め。つまり梵鐘打ちから始まり読経、坐禅,掃除によってリセットをできるからです。体調や情緒の不安定にも左右されずに淡々と行うことができるしまた長く続けられるように今の自分とのスタンスの中で行じております。決して無理をせずに快適さ重視です。これが続けられるコツかと思います。そのためには一人でやることを今はお勧めします。初心者はある程度は指導者につくことを推奨しますが。私の瞑想中での思いは追わないことに心掛けております。思いのままにただ座っております。これがとても居心地がよくて安楽そのものです。一人で楽しくできるし健康的で経済的です。早朝の静寂の中で無に帰して座ることの醍醐味は長年、禅修行をして来た人でないとわかりかねます。結局は修行も最後は一人ですることです。林住期です。遊行期こそ本当の人生です。世俗を離れてこそ人生のはずです。

それと私は想像が創造だとも思っております。脳裏で試行錯誤をして想像を逞しくすること。なりたい自分を想像します。よく脳は盲目と言います。脳裏ではもっぱら潜在意識下で心からの想像を蓄積させると言われます。そうしますと想像という貯蓄つまりインプットが働き出していわゆる夢をカタチにする作業が始まるようです。アウトプットに切り替わるようです。どうしても生理的にもインプットしたものはアウトプットするようにできております。脳裏は司令塔です。勝手に行動して夢を現実化していくようです。それを潜在意識とか,あるいは仏教唯識学では阿頼耶識と呼んでいます。呼び起こしたり呼び覚ましたりする働きです。曹洞宗の開祖道元も切に思うことは必ず遂ぐるなり、と言っております。思いを強くして思い続けていればいつかそれは現実のものとなって帰ってくるという思想です。それもより正しく最善のことを思うことが大事のようです。反骨精神だったり滅私奉公だったり自己犠牲だったりより利他的精神であることが叶う理由のようです。邪に思い企むのではなくより健全で真っ当なことが重要です。よく勝利の女神が微笑むようにと言われますが。天が味方をしてくれることが大事です。お導きです。それには私利私欲を捨てて公序良俗に適することです。そこにこそ天は追い風を吹かせるものです。よいことを思いよいことを発してよいことを行うに尽きます。三業(三密)です。身口意(しんくい)です。これが夢が本当になる理由のようです。

仏教を信じることはこの潜在意識とか阿頼耶識という存在を信じることでもあります。私が今,思うような人生を手に入れて満足できている理由は人の意見に左右されることなく自分軸で生きていられるからです。遠慮をしたり気を遣ったりという無駄がないことが勝因です。前半の人生はほとんどが無駄でした。ただこれがあったからこそ今があるとは思いますが。とにかくこれからの次世代の人には徹底して脳に擦り込ませて自分の夢を実現してほしいと思います。それと大事なことはよき仲間です。私はこれがイマイチでした。環境はとても重要です。そして正師です。よき指導者に恵まれるかでも人生は左右されます。私はそれでもよき指導者にはそれなりには恵まれたとは思います。今の人はなかなか不運にも思います。私は弟子入りの最低条件はどうしても,どうしても,どうしても,です。それがないと僧侶になる意味などありません。不退転の覚悟のある僧侶しかいりません。私は唯我独尊主義のため決して群れずにただひとり歩む決意で生きております。あとはそれに賛同する少数精鋭の仲間だけです。それでもう充分です。

最近、東洋経済オンラインで東海地区の曹洞宗単立のYouTuber僧侶が掲載されて注目を集めております。圧倒的先駆者であり動向が気になるところです。私が知人の記者に単立化した寺院住職の施策やその手腕、実績は記事にはできないものですか,と問いました。そうしたところ彼は先日も離脱をした修行道場の名刹も取り上げました。遠慮はしておりません。むしろ積極的にその経緯や意向は取材させていただきます,とのことでした。もはや単立化する寺院を無視できない状況にもなっているようです。少しづつ宗教系メディアも変わってきております。そこで彼から私にところでと。先駆的革新的な取り組みをする寺院にあってそれでも,どうしても、宗派に残る意味、意義があれば教えてください,と。宗派に独自の一家言を突きつけても無所属にならない理由を,とのことでした。。我曰く、それは汚泥に浮かぶ一輪の蓮の花を目指すことの方がより仏教的だからです。現実逃避をして南の島に行くよりはいま、ここを生きることが禅の世界だからです。何処まで行っても地上に楽園はなく災い転じて福となすのが私の仏教観です。敢えて離党することよりも規制と既成の中でそれを打破して少しでもよい世の中,組織をつくりたいという夢だけはあります。カッコよく言えばそれが男のロマンかと。彼曰く、ご丁寧にわかりやすくご教授をしていただきありがとうございました。いま、ここを無我で生きる。禅の本質を生きることこそ我が道ですね。現実を直視して逃げない。己事究明。現成公案。脚下照顧。帰家穏坐。現実と向き合い曹洞宗寺院を継承した者の覚悟を感じます、と。我曰く,たとえボロボロになったとしても。これでも道元禅師を敬愛し曹洞宗愛は誰よりも強く持っているつもりです、と。彼曰く、素晴らしいと思いました。その根底にあるものは一仏両祖。その信があるからこそブレずに突き進める、納得できました、と。果てしない荒野を今日もいく愚僧でした。珍重(ちんちょう)。万歳(ばんぜい)。

令和7年7月22日
見性院住職

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