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回顧

本日、見性院 みんなのお寺チャンネルが登録数3,939サンキューサンキューとなりました。4,000まであと一歩のところまで来ました。少しずつですが確かな歩みを刻んでおります。YouTuberを目指していることでもありません。自らの主義主張(思想信条)を旗幟鮮明にして自分軸を構築していくための一つの手段でしかありません。共感してくれる人もいればアンチになる人もいます。それはそれで生きている証拠であり関心を持っていただけるだけで幸せです。今月末をもって一旦,料理部を休業にしました。凡そ10年間,料理研究家として生きてきましたが暫くお休みをいただけることにほっとしております。買い出しからメニューづくり、仕込み、調理,片付け,掃除とほぼ一人でやってきました。一日,二、三十人分です。半日は潰れます。よくやってきたものだと我ながら感心するというよりは少し呆れております。なんでもその気になると無我夢中になるタイプです。とことん突き進みます。根っからの事業家なのかもしれません。なんでも始めると最低10年間はそのことに没頭します。それだけにものにもなっているのかもしれません。これでひと休みにして来年に料理人が現れたら再開するつもりです。それまでは下準備だけは怠らずにしておきます。もうほとんどのことができているので指南はできます。人手不足,人材難のため辞めただけなので時期を待つだけです。必ずもう一度やって成功させます。ご期待ください。これで勉強に全振りするつもりでいます。そうしないと次の夢は叶いません。

とにかく仕事や用事の多いお寺です。毎日毎日が人で溢れております。電話もメールも引っ切りなしです。おかげさまで大成功はしていると思います。さらなる飛躍はします。夢はやはり海外での成功です。それまでは諦めません。突進突進はしていきます。昨日は宗教ジャーナリストの知人からこんなメール質問がありました。僧堂生活というものの本義が今,問われ出しております。橋本さんは僧堂に三年あるいは三年半の修行生活を勧めますか。それとも最短最速に半年で資格取得のみを目指すのがよいのかどちらですか,とのことでした。私はもちろん半年で資格取得のみを息子や弟子に迷わずに勧めます,と言いました。三年なり三年半の生活で何を得るのでしょうか。僧堂生活とは騒動生活でしかありません。なにもご利益はありません。ただこき使われてどやされて虐げられるだけです。その仲間も碌なのはいません。曹洞宗はまだこれでも短期なのでよいですが臨済宗は三年半という期間なので私は曹洞宗でよかったと思っております。凡そ禅僧が変人なのはそういうことかと思います。長い僧堂生活をした人で尊敬できる人はほとんどいません。私が唯一お世話になって永平寺に五年間修行した尊敬できる先輩は数年前に他界しました。静岡県の人でした。これが実態であり現実です。得るものはないのです。それで偉くなった人を見たことも聞いたこともありません。それが現代社会で活かせることはほとんどありません。凡そ宗門の僧堂教育機関というのは間違っていたということです。人材が輩出できていないことがその証左です。そこからして宗門に未来はないということです。その延長で人生があるために一生を棒に振り僧侶らしいことは何一つできないで終わるのが現代僧侶の現実です。悲しい哉、世襲の悪しきしきたりの中で埋没し自己実現など遠い夢のまた夢の中で終わっていきます。気がついた時にはすでに時遅し。慙愧に堪えない屈辱の中で涅槃にも堪えられずに忘却の彼方へと向かうだけの人生だけが待っております。それが普通の僧侶の一生となっております。

十七年前に他界した先代師父は晩年よくこんなことを口癖のように言っておりました。永平寺や總持寺で修行しても碌な人間はいなかった、僧侶の馬鹿さ加減に呆れてこんな世界はインチキだった、と。私も今や同感です。無意味な社会だと思います。だから私は誰のいうことも聞かないしほとんどの僧侶とは没交渉です。そもそも私のように前人未到のことをやっているものが人の意見やアドバイスを聞くことにはほとんど意味はありません。雑音でしかありません。同業者とはいつも距離を置いております。そして旧檀信徒とも選んで付き合っております。いつも心から私のことを尊敬できる人限定です、と。それでも引くて数多です。永久戦犯は永久追放です,と。それでもなぜか嫌われずに私のところに近づいてくる人はいつもわんさかわんさかしております。見捨てないでください,とよく言われます。宗務所や教区寺院とも袂をわかって大正解です。先日も近隣の住職が来られました。自分の代だけでよいのかと。あれこれ心配しておりました。わからないことはありませんが見性院だけは唯一今の時代であっても発展し続けております。後継者はいくらでもできます。と。傘下寺院もこれからは急増するはずです。墓じまいをしたら見性院へという人は全国区です。なにも心配はありません。当院だけは墓不足に悩まされます。どんどん移って来ます。もはや大本山も本部も。そして家族経営寺院は限界に来ます。にっちもさっちもいかなくなります。ある一部の寺院へと収斂していく構図となります。私は口出しをされるのが大嫌いのため人とは付き合いません。その代わりに人にも口出しはしません。個人にはです。家族にもです。子どもたちにもです。人のことなどほとんどわかりません。勝手なことも言えません。ただ体制に対しては歯に衣着せぬ物言いで批判は続けております。それは逆襲ということもあります。倍返しはしておりませんが。ただ今やどっちがどうかは自明の理かと。漸くここまでは来ました。それなりには見せつけていると思います。本番はこれからです。精進精進,そして精進。合掌

令和7年9月27日

見性院住職

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