人格と人柄と人間

先日、SNSで元大リーガーのイチロー選手が組織は会社でもホテルでもレストランでも何処でも結局最後は人に行きつき人に帰着する、と言っておりました。会社もホテルもレストランも人で成功するし人で失敗もする、と。何がよかったかと言えば人選がよかった、何が不味かったと言えば人選がよくなかったという結論になると。だからたとえ会社やホテルやレストランが潰れてもそこに人物人材がいればその人たちはまたそれぞれの場で独立をして成功していくものです、とのことでした。また元読売巨人軍の桑田真澄氏が人間は毎日毎日、コツコツコツコツと絶え間なく目の前の課題に向き合って継続をしていけばいつの日か必ず飛躍的に成長していることがあると言っておりました。両氏の意見に心から賛同します。私も人間を観察していて一つのことに専念して長く同じ職場で勤めあげることができる人、あるいはよき人生を送っている人というのはどういう人なのか。ひとつの結論に至りました。当たり前のことが毎日毎日、しっかりとできている人です。
例えば大企業や役所を定年までまっとうできた人、或いはヘッドハンティングで採用された人は必ず就業時間の30分前には来ております。そして掃除をしたり今日の勤務の諸準備を淡々と黙々とやっております。そのために仕事の成果も出るし間違いも起こしません。ギリギリに来て慌てている人は何をやっているのか皆目わかりません。成長もしません。貢献もしません。ということに分類されます。それだけでも人事評価はできます。少なくとも正職員の資格は得られません。たとえ料理人でもなぜか元総料理長とか一流シェフだった人ほど早く来ます。料理が上手で時給以上のことができる人ほど早く来て仕事に取り掛かり隙間隙間には掃除をしたり片付けをしております。さらに他の人が助かるようにと仕込みまでしていきます。これが本物です。こういうものなのかと教わりました。これでは生産性の差は歴然です。すべては本人次第でオーナーとしてはそういう人を採用したいしそのような人には報酬を多くしたくなるものです。結局は自分の人生は自分で決めております。仕事に恵まれていない人は自分の行いが悪いだけです。
私の場合は引くて数多なのでできるだけ雲隠れをしております。ここまで来たら人に気を遣ってまでお付き合いをする気などさらさらありません。遠慮は要らないし文句を言われてまで、と。私が当院を辞めてもらった人でその後、活躍している人がほぼいないのは判断基準が間違っていなかった証拠にはなると思います。ひとりだけ逸材がいて人事問題で辞めてもらった人がいました。その人は今でも活躍しているようです。それは私がいらない人を早期にクビにできなかったことが原因しております。人事の整理は早いに越したことはありません。それだけは後悔しております。まずは三ヶ月、じっくりと見ることです。それから半年、一年と。一年半経ったところで一度よく見極めることかと思います。三年つき合えばほぼ全貌が明らかになります。そこで結論を出すこともありです。ちょっと遅過ぎますがそれも一案です。私は優しすぎると思います。いつも仏様のような心でいることが災いしていると思います。漸く厳格になれて来ております。少し時間がかかり過ぎました。辞めさせた若い人たちの多くが出戻りたがっているようです。ただこちらはどんどんとよい人が見つかっているために考え直すことは難しいです。
私の場合は理念を決めて自らの思想信条を旗幟鮮明にしております。そのためにアンチも多い代わりに信奉者も増えているのだと思います。そして有言実行です。結果にコミットをして実績を積み重ねていく方式です。本当の人格者は人に媚びることはしません。論理が明快でウジウジはしておりません。さらってしていて後腐れがなく爽快です。だからこそ品格が備わりキラキラしているのだと思います。人柄は風貌に必ず出ます。胡散臭い人には独特な嫌味があります。最近、たとえば出身大学の人事とかを見ていても好ましくない教授は早期退職をさせられております。よい傾向です。これからは大淘汰時代のため人格者とか人柄がよくないと優先的に解雇の対象にはなると思います。人間社会ですから当然です。周囲に気を遣い少しでもその人が楽ができればと働く人が生き残ります。働くことは人助けそのものです。稼ぐためではありません。目的はあくまでも人の幸せのためです。結果として報酬があるだけです。ここがわかっている人といない人の差が出ているだけです。松下幸之助の名言、好景気よし、不景気さらによし。です。世の中に必要とされる組織とか人が残される時代です。その時に人柄は特に大事です。運命と深く関わります。サッカー日本代表とか活躍する日本人大リーガー、あるいはハリウッド俳優、超名門大学教授とかを見ていて一様にみなカッコよくて人柄もよいです。特に米国は。一事が万事とも言えます。本物は大概は三拍子が揃っているものです。血の滲むような努力をしていく中で備わっていくものなのだと思います。本物の僧侶の出現が待たれます。こちらも心して精進してまいります。深く反省しながら。
令和7年6月10日
見性院住職